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2014.09.14

 米軍の沖縄駐留、日本政府の意向 モンデール氏証言 

カテゴリ沖縄問題 出典 琉球新報 9月14日 朝刊 
記事の概要
1995年の米海兵隊員による少女乱暴事件の発生を挟んで93〜96年に駐日米大使を務めていたウォルター・モンデール氏(元副大統領)が、米国務省系の研究機関、外交研究・研修協会による外交史記録を目的とした退任後のインタビューで、事件に対する県民の大きな反発を受けて、当時米政府が在沖米軍の撤退や大幅な縮小を懸念していたと証言していたことが分かった。

一方、日本政府の対応に関しては「われわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と振り返り、在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたと明かしている。

インタビューは2004年4月27日付で行われ、モンデール氏は事件について「県民の怒りは当然のもので、私もその怒りを共有していた」と語った。

その上で「(事件から)数日のうちに米軍は沖縄から撤退すべきか、最低でもプレゼンス(存在)を大幅に減らすか、米兵事件に対する起訴に関して日本側に多くの権限を与えるようすべきかという議論に発展した」と述べ、沖縄側の要求に対して米側が大幅に譲歩せざるを得ないと認識していたと紹介した。

一方で当時の「日本側の指導者たちとの非公式な会話」に言及し、「彼らはこの問題が挫折を招くことや、われわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と説明。

日本側が沖縄への米軍駐留継続を求めていたと述懐している。

事件から7カ月後の96年4月、日米両政府は普天間飛行場の全面返還で合意したが、県内での代替基地建設が条件とされた。
コメント
この記事は、昨日、沖縄タイムス紙が「日本、普天間返還交渉で、在沖海兵隊の駐留を要望 モンデール元駐日大使の口述記録」で報じた内容の続報である。

要約すれば、1995年の米海兵隊員による少女暴行事件で、在沖海兵隊の撤退が日米両政府で議論された時、日本政府が在沖海兵隊を撤退させないように要望したというモンデール駐日大使の証言である。

辺野古に新基地を作る話が出る前のことである。

日本政府には地元の要望や米軍の事情に関係なく、米海兵隊を駐留させたいという強い希望があったという訳である。

今では米軍再編で、在沖海兵隊の必要性がほとんどない状態になっている。海兵隊は短期間に、局地的に作戦する部隊なので、グアムやダーウィン(豪)に配置し、各地をローテーション訓練で巡回した方が効率が高くなっている。

たとえば、北海道では冬季の訓練を行い、フィリピンではジャングル戦の訓練、オーストラリアでは砂漠の訓練や海岸線での上陸訓練という具合である。

その中には、日本本土の山岳地帯でオスプレイの低空飛行訓練も含まれる。山岳地帯の谷を縫うように飛行する訓練である。

だから沖縄に常駐配備することは米海兵隊の機動力を奪い、緊急展開能力を下げる原因になる。

そのような考えを持たない米軍人(高官)はいないと思う。ジョセフ・ナイ氏もそのような巡回訓練の効率性を指摘する新聞コラムを書いている。

それを日本政府(日本の外務省)だけは、必死に在沖海兵隊の足元に抱きついて、沖縄から去るなと懇願しているのが現状である。




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