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2009.10.13

 軍事評論家 江畑謙介氏 死去 千葉の病院で「呼吸不全」 

カテゴリ日本出典 産経新聞 10月13日 電子版 
記事の概要
江畑謙介氏(えばた・けんすけ=軍事評論家)10日、呼吸不全のため死去、60歳。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。平成3年の湾岸戦争開戦時からテレビ解説をつとめたことを契機に、的確な軍事評論で広く知られた。

 上智大学在学中から軍事問題を研究し、専門誌「丸」「ジェーン年鑑」などに論文を掲載。昭和58年から英国の防衛専門誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウイークリー」など海外専門誌の日本特派員として活躍した。政府の防衛調達適正化会議議員防衛調達審議会委員も務めた。主著に「新軍事考」など。
コメント
江畑氏とは同じ年だった。まだ軍事を学ぶことがタブーな時代、江畑氏も私も軍事を社会科学として位置づけ、それぞれが勉強や研究を始めた。日本で軍事を勉強することは、戦争や人の殺し方を勉強することで、反社会的という見方が強かった時代である。

そしてやっと軍事学の必要性が認められて時、鎌倉にお住まいの堀元美氏から昼食のお誘いを受けた。30歳の頃である。堀氏は東大工学部造船学科出身の元海軍技術大佐で、日本で軍事問題を語る最高権威の人だった。

ご招待を受けたのは、私とおなじ年の江畑謙介氏だった。堀氏は、「これからの日本で二人の役割は重い。助け合って頑張ってください」と言われたのを覚えている。そのための昼食会だった。

帰りの鎌倉駅のホームで、「私に出来ることがあれば何でもやる。いつでも連絡してください」と話しかけると、ニッコリ笑ったのが江畑氏との最後の別れとなった。

それから30年。江畑氏は軍事の中でもアカデミニズムの中で活動する生き方を選んだ。私は「八百屋に大根を買いに来たオバサンにわかる軍事解説」を目指した。

江畑氏はテレビはHNKで、私は民放で、江畑氏の新聞は全国紙で、私はスポーツ紙や夕刊紙という分担が長く続いた。

しかし最大の違いは、江畑氏は未知の話題が出てくると、「分かりません。知りません」と話すことに対し、私は「それはこうです。こう思います」と踏み込んで話すことだった。

江畑氏はデーターや資料に裏付けされていないものは不知というが、私は自己の責任において踏み込んで解釈をすべきという考えだったからだ。

私はいつも江畑氏の見解に注目していた。私の講演会では、「軍事評論家で、だれを最も信頼できるか」という質問には、いつも「江畑氏」と答えていた。

その江畑氏が死んだ。私のとってライバルが死んだと言うより、別の戦場で戦っていた戦友が死んだという気持ちである。すばらしい戦友が死んで、私はこれから何を基準にしていいのかわからない。

本当に誇り高い人でした。いつも自分がトップの位置にいることを自覚している人でした。いまはただ合掌するのみです。

江畑さん、ありがとう。そして、ご苦労様でした。私もそのうち行きます。そしてゆっくり今までの思い出話を交わしましょう。(合掌)



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