少年工科学校第12期生


35回忌 殉職同期生を偲ぶ集い


平成12年7月1日(土)に開催しました
 

 恒例になった7月の第一土曜日の、「殉職同期生を偲ぶ集い」を7月1日(土)に行いました。今年は千歳から「浜」がやってきました。また熊本からは「関」が参上してくれました。総勢で20人ぐらいが参加しました。OBの松村が前日の夜に電話をかけてきて、「OBの連絡がうまくできていない。至急、OBの連絡網を作って、連絡を密にしろ」と言っていました。そこでOBとしては東京周辺の連絡網を作ります。まあ日帰りができて、一杯飲める時間が持てる範囲の者が対象です。20人ぐらいはいるかと思います。本当はインターネットで連絡網を作りたいのですが、さんざんワープロで苦労したのに、これからまたパソコンで苦労したくないという者がいて、連絡網は電話とファックスと手紙にします。

 当日は栗原が手作りのオイキムチを持参したり、田上がカミさん同伴でやってきました。

 思い出せば、あの日からもう35年もたってしまいました。みんなの頭にもすっかり白いものが目立つようになりました。しかし気持ちだけは当時とまったく変わっていなくて、生徒時代の思いで話に花が咲きました。今年参加できなかった人は、来年もやりますのでぜひ参加してください。これから人数が増えれば、いつもの藤棚の下で飲むというのは無理かも知れません。でもこの日だけは、手作りの肴を持ち寄って、青空の下で素朴に酒を飲み交わすというのがいいように感じます。帰りに栗原の家に寄って、スイカとカボチャとジャガイモをもらいました。野菜を入れた袋が重くて重くて、駅から自宅まで指が切れるかと心配しました。さっそくジャガイモは肉じゃがにして食べました。うまかった。35年前に去った同期も、きっと我々の来校を喜んでくれたと思います。また来年もやるぞ。

 というわけで、少年工科学校のことを知らない人は何ごとかと思うでしょう。実は35年前の7月に我々の同期生が、池を使って渡河訓練中に事故で13人が水死しました。予想以上に池が深かったというのと、重い鉄帽や銃を担いでの渡河訓練で、泳ぎ切れなく溺れてしまったのです。中には、いったん陸に上がってから、池に沈んだ友を助けに入って亡くなった者もいます。それから毎年、あいつらが沈んだ池を埋め立ててつくった公園に、同期が三々五々と集まっては酒を酌み交わしています。それが今年は7月1日でした。我々は15歳で少年工科学校に入校しましたから、死んだときの年齢は3年生で17歳でした。今、17歳がいろいろ言われています。全国の17歳の諸君、がんばってください。