| 所 長 ご 挨 拶 | |
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第100回 (5月 2008年) このコーナーもとうとう”100回目”になりました。今日は5月7日(水)の連休明けの初日です。この機会に、何かビッシとしたご挨拶文を書くべくなのですが、連休の10日間を更新休止していたため、すっかり緊張感が緩んでしまいました。緊張感を元の状態に張り直すには多少の時間がかかるかもしれません。 ところで皆さんの連休は如何でしたか。ゆっくり休養できたり、楽しい思い出を残すことが出来ましたか。東京は前半の天気が今イチで、それに道路の渋滞を考えると、なかなか遠出する気になれませんでした。 しかし連休後半の6日は快晴が期待できると聞いて、一気にエンジンがかかりました。5日の子どもに日には、午前中に買い物などの家事を済ませ、お昼前には自転車で日本橋(東京都)まで駆けだしました。起点の日本橋から日光(栃木県)までの日光街道を走破するためです。その距離はおよそ140キロぐらいと思います。全行程を1日で走るのは無理と思い、1日半の行程を組みました。 日本橋から駆けだして国道4号線を北上し、出発から2時間半もすると道路の両側で水田が見え始めてきました。今頃の水田は田植えが終わった直後か直前です。満々と水をためた水面が、空を反射して息を飲む美しい光景でした。その水田の風景を楽しみながら走っていると、道路の段差を見逃して後輪からゴツンとしたショックを受けました。すぐにタイヤのエアーが抜けてゴトゴトとパンクです。パンク交換用のチーブと空気ポンプは持参していますが、実際にパンクの修理を自分でするのは初めてです。そのため数日前に自転車の修理と手入れの本(マニュアルガイド)を読み、自宅で練習をしておきました。それでもダメだった場合を想定して、道路の反対側に自転車屋さんのあるホームセンターの前で直すことにしました。もし自分がダメならホームセンターの自転車屋さんにタイヤを持ち込んでパンクを直してもらうためです。 たまたま前を通った通行人の方(私と同世代)から、いろいろアドバイスをして頂き、約30分で何とかチューブの交換と空気入れに成功しました。そして再び走り始め、結局、5時頃に茨城県と埼玉県の県境にある五霞(ごか 茨城県)の”道の駅”に到着です。そこで付近の地図を見た結果、今日はここまでとして東武日光線の幸手(さって)駅から電車で帰宅することにしました。走ったり距離は日本橋から40キロぐらいでしょうか。自転車は幸手駅の駐輪場に預けておきます。この駐輪場は24時間いつでも利用可能で、自転車をカギで固定できる駐輪場(有料 150円)です。そこから私は単独電車で東京に帰り、自宅到着は午後7時すぎでした。 翌日は、朝5時に起きて、最寄り駅から6時の電車で幸手駅に向かい、幸手到着の7時半頃から走り始めました。目指すは”日光”です。途中の宇都宮には11時半頃に到着し、お昼ご飯に名物の餃子を食べたいと期待していましたが、初夏を思わせる暑さに水分補給ばかりで”食欲は全くなし”です。そのまま4号線から日光に通じる国道119号線に入りました。 日光の手前25キロぐらいから、山に向かって緩やかな上り坂が延々と続きます。道路も狭くなって、追い抜く車に恐怖心を感じることもあります。標識の”日光まで21キロ”を見た時は、「よし、後はハーフマラソンだ」と励まし、残り10キロでは自転車のスピードメーターが時速9キロなのを見て、マラソンと比べると”楽だ、楽だ”と言い聞かせました。しかし体力はどんどん消耗して、フラフラになってきます。自転車のギヤは低速に落としているのですが、坂道でスピードも時速6キロぐらいになってきます。そろそろ木陰でちょっと長めの休憩を取ろうと考えていると、目の前に参道のような商店街が見えてきました。それから数分走って、右横を見ると「東武日光駅」の駅舎です。時間は午後4時頃だったと思います。その瞬間にホットと気が緩んで、日光駅から東照宮入口までの上り坂(約2キロ)は自転車を押して歩きました。 日光街道の起点にある、有名な”神橋”の脇で、自転車と一緒の写真を撮り、近くのお店でソフトクリームを買って食べました。今回は行程の最後の部分がきつかったために達成感はありました。 そのあと駅前で自転車の前輪を外して輪行バッグに収納し、自転車を抱えて”臨時快速”で東京に帰ってきました。自宅到着は8時半頃ですね。結局、日光でも名物のゆば料理を食べることができませんでした。本当に食欲が出てこないのです。帰りの電車代も日光から自宅近くの駅まで1460円(臨時快速+地下鉄代)で済みました。 というわけで、たった1日半だけの冒険ですが、今年の連休でそれなりに思い出は残せたと思います。せっかく今回は思い出に残る100回目なのに、軍事的なお話しをしなくてすいません。まあ、自転車で1日100キロを走り抜くことに自信をもつことができました。でも、長い上り坂でクタクタになった時にパンクしたことを想像するとゾーとします。 皆さんも、ぜひ楽しい冒険にチャレンジしてみてください。でも、事前の準備や体調調整は必要ですからね。無茶なチャレンジで体を壊したり、事故に巻き込まれないように気をつけてください。 つづく 5月7日 |
以前の所長挨拶はファイル(文書倉庫)にあります。 |
著書紹介
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面白いほどよくわかる 『世界の軍隊と兵器』 05年1月30日 発売 日本文芸社刊 1400円(税別) |
この本を私の著書と呼ぶことはできない。大部分は軍事ジャーナリストの芦川 淳さんと、軍事フォト・ジャーナリストの菊池雅之さんが書いた本である。二人とも、将来は日本を代表する軍事通になる素質を持っている人である。。
この本で私の担当は、監修と第7章の「新しい日本の防衛政策」を書いた。私としては高校生レベルの軍事入門書として読んで頂きたいと考えていた。しかし意外なことだが、若い新聞記者やテレビ関係の報道ディレクターが読んでいた。私のところに取材に来る前に、この本を読んできましたと話す人が多くいた。今までは、軍事とは関係のないところに生き、仕事柄、初めて軍事の世界に触れる人には都合のいい本だったようだ。 出版社に聞けば、やはり売れているようで、早々と半年で軍事本では珍しい重版になった。ともすれば私たちは軍事の専門家として、高度な内容の本を書きたがる傾向がある。社会に自分を認めて欲しいという欲求があるからだと思う。しかし世の中が求めているのは、確かな基礎知識に基づいた初級クラスの軍事解説本も忘れてはいけないと気が付いた。 これから軍事を勉強してみたいと興味を持った方にお勧めしたい1冊である。 |
| 『戦争の科学』(監修) 03年9月10日 発売 主婦の友社刊 3000円 (税別) |
5月のある日、主婦の友社の編集者が訪ねてきて、「この本を翻訳して、日本でも出版したいと思います。ぜひ協力してください」と話した。原題は『SCIENCE GOES TO WAR』である。すでに下訳ができていて、読んでみると戦争というより兵器の歴史書だった。まずは日本語訳の間違いを訂正するために原書と突合せながら読んでみた。するとこの和訳が実に上手い。いやむしろ上手すぎると思った。言葉を訂正するどころか、逆に、言葉の使い方に感心しながら読んだ。翻訳はまったく問題がなかった。ところが原書には、今の時代では必須のRMA(軍事革命)の記述がなかった。そこで、「この本のタイトルでRMAの項目がなければ欠陥品になります」と編集者に話した。そこで最後の解説の部分として、RMAを書き加えることになった。それを私が担当することになった。 「高校生にわかるように書きます」と言って、もっともわかり易いRMAの解説を書いた。それから原書にはないイラストを友人の長谷川正治氏を紹介した。ぜひとも図説のイラストが必要と思ったからだ。これで8月末に完成した。訳者の茂木健さんに脱帽した。 |
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| 『北朝鮮 消滅』 03年3月1日 発売。 イースト・プレス社刊 1500円(税別) |
北朝鮮という国を軍事的な視点で見ると、今までは異常な体制支配で隠された部分から、真の姿が浮かび上がってきた。なぜアメリカは北朝鮮を軍事攻撃できないのか。韓国の太陽政策はなぜ生まれたのか。日本と北朝鮮の国交正常化はなぜ進展しないのか。 そもそも北朝鮮の軍事力とはどうなのか。テポドンやノドンが日本に飛来する可能性はあるのか。そして、北朝鮮をめぐる中国やロシアの対応に隠された真意はどこにあるのか。 イラク戦争でフセイン独裁体制が米英の軍事力で倒された今こそ、この本が解き明かす北朝鮮の真実が近未来を予測します。 この本は1500円で、2003年3月1日が発行日です。 |
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| 『北朝鮮 対日 潜入工作』 共著 別冊宝島宝島 038 宝島社刊 1200円(税別) |
私が担当したのは、「生物・化学兵器の原料流出のみを警戒せよ!」です。何だか変なタイトルですが、もう北朝鮮の兵器は脅威ではない。エンジンのかからない戦車、飛ばない戦闘機(飛ばせないパイロット)、潜航せきない潜水艦の数を数えて怖がっててもしかたがない。しかし生物・化学兵器だけは怖い。これに対する警戒は必要と書いたら、このようなタイトルになりました。 原稿を書いたのが02年の7月、本が出たのが8月、そして9月から小泉訪朝と拉致事件被害者の帰国と、日本で北朝鮮関連のことで大騒動になりました。そのためか、何度かこの本が増刷され、こんど宝島文庫にもなるそうです。 北朝鮮は怖くなければ北朝鮮ではない。怖い北朝鮮が大好きという方には、この本は絶対のお勧めです。金正日の危険度を知る上では面白い本です。 |
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「裸の自衛隊」 神浦元彰 監修 宝島文庫社 ¥533(税別) |
歴史的な名著として話題になった自衛隊本。ベストセラーの初版から9年たっての文庫本なのに、初版〔文庫〕で10万部を刷ったという驚異の本。この「裸の自衛隊〔文庫〕」では、記事中以外に、「INTRODUCTIN」と「あとがき」を担当しています。他の著名な執筆者の鋭い取材や分析には、軍事の専門家でない方が、むしろ自衛隊を正確に見ていると脱帽しました。自衛隊の本当の姿を知りたい人にはお勧めです。現職や元自衛官には圧倒的な人気でしたが、防衛庁高官や自衛隊の偉さんたちにはヒンシュクをかいました。 |
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「北朝鮮最後の謀略」 神浦元彰 著 二見書房 ¥825(税別) |
神浦所長が最初に挑戦した「軍事小説」。本当はこれで直木賞を狙っていたが、候補どころか話題にもなりませんでした。〔もちろん冗談〕 小説の話しの内容は、ロシアの犯罪組織から核爆弾を密かに買った北朝鮮の指導者が、横須賀港に寄港している米原子力空母の船底に核爆弾を仕掛け、関東一帯を「チェルノブイリにする」という計画が発覚。それを阻止すべき自衛隊の特殊部隊が投入された。北朝鮮軍工作員指揮官の許少佐の謀略に翻弄される日本。その間にも、核爆弾は改装された貨物船で東京湾に運ばれ、水中から原子力空母の船底にセットされた。(裏話・この小説はアメリカの高官が、「北朝鮮が1〜2発の核爆弾を持っていても、1万発以上の核弾頭を持っているアメリカの脅威にはならない」と言った事に頭にきて書いたのがもともとの動機です) |
| 「北朝鮮『最終戦争』」 神浦元彰 著 二見文庫 ¥495(税別) |
北朝鮮がテポドンを発射実験して、日本政府やマスコミのあまりの動揺ぶりに「ビビルな日本、北朝鮮は怖くない」と、科学的な軍事分析してみせた本がこれ。内容はノンフィクションですが、軍事常識や理論を勉強するには最適の本です。各所に具体例を挙げながら、理論的な説明をしておきました。この本は一部の朝鮮半島の専門家には高い評価をして頂きましたが、「北朝鮮が攻めてくる」と危機感を煽ってなんぼの人には敵視されました。しかし北朝鮮がいくら全体主義の国でも、国民の大多数が飢えているのに、大きな戦争を始める余裕はないでしょう。(裏話・この本で言いたいのは、本当に怖いのは北朝鮮ではなく、その背後にいる中国で、その将来の日中関係によっては、深刻な事態になると警告をしたかった。新たな冷戦を生まないために、中国と日本と米国が軍事対立をしないことが大事) | |
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「アジア有事
七つの戦争」 神浦元彰 他(共著) 二見書房 \1748(税別) |
「何か面白い本を書こうよ」と、軍事評論家の野木恵一さんと話していたら、これからのアジアの10年間を、軍事情勢から分析し予測してみようと企画したのがこの本。そしていつもすごい記事を書くなと関心をしていた、河津幸英〔軍事研究誌 論説委員〕さんと、航空ジャーナリストの石川潤一さんにも加わって頂いて、4人の共著で出版しました。
本当は4人で酒でも飲みながら、ワイワイガヤガヤとやりながら、進行していこうとぐらいに考えていました。ところが、野木さんは昔から酒を飲まないことを知っていましたが、河津さんも酒を飲みませんでした。石川さんもほんの付き合い程度しか酒を飲まないと聞いて大ショック。大酒飲みの私としては、極めてまじめに企画から、執筆まで真剣に取り組んだ本です。出版後にA新聞社の有名軍事編集委員から電話を頂き、よく書けているとお褒めの言葉を頂きました。4人が大酒のみだったら、どんな本が出来たのでしょうか。 |
| 「日本の最も危険な日」 神浦元彰著 青春出版社 絶版 発行1978年6月 | 22年前の本です。「神浦さん、将来、大物になる人は20代で本を出しています。書いてみませんか」と、私が29歳の春に青春出版社編集部の行本さん(当時、現在は文化創作出版社)に言われ、中高生を読者対象にして、わかりやすく軍事常識の解説書を書いたのがこれ。日本や日本周辺で考えられる軍事問題を99項目とりあげて解説をしました。たとえば、「なぜ中国は台湾を攻めないのか」「小さな地域紛争(人種、宗教、国境など)から、人類を滅ぼす全面核戦争までの戦争分類法」「米ソ、戦略核兵器の種類と核戦略」「北海道脅威論のいい加減さ」「開発中の精密誘導兵器の恐怖」などなど、いろいろな項目で書きました。たしか30歳の7月の誕生日にぎりぎり間に合ったと記憶しています。この本を出したのを機会に、テレビなどマスコミに軍事問題で出るようになりました。そのころ週刊ポストで最も若い記者だった二木啓孝氏(現、日刊ゲンダイの編集部長)と、この本が縁で知り合い、同じ年ということで仲良くなり今も付き合っています。私の肩書きの「軍事ジャーナリスト」というのも、二木氏が20代で軍事評論家はないだろうと命名しました。この本で私の本格的な軍事人生(取材・研究・発表)が始まったようなものです。それが今、私の書斎の本箱を見たら、なんと1冊もないんです。びっくりしました。私と同じ頃に青春出版社から「天中殺」の本が出て、歴史的なほど爆発的に売れました。そして日本中で占いブームが起きたときは驚きました。まだ藤本義一氏が日本テレビで11PMの司会をやていた頃の話です。その11PMにも何度か出演させて頂きました。 |