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所 長 ご 挨 拶 files〔情報保管庫) |
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| 第49回 (1月 2004年) 明けましておめでとうございます。いよいよ2004年が始まりました。今年は軍事にとって激動の1年になりそうです。 自衛隊は戦場のイラクに行きます。陸自は自爆テロや迫撃砲の攻撃を受けると思います。また空自はイラクでSA-7携帯式対空ミサイルの脅威下で輸送業務を開始します。いよいよ日本は戦争を行うことになりました。 それも日本を戦争に突入させる確信犯ではありません。日本の政治家や防衛官僚が、軍事を知らないから戦争に巻き込まれたのです。テロやゲリラ、イスラム社会とキリスト教社会の対立、侵略と占領の違いもわからず日本は戦争に巻き込まれました。 イラクはますますイスラム教徒とネオコンの戦場になります。アメリカやイスラエルのネオコンは、同時多発テロを機会に、レバノン、シリア、イラク、イラン、アフガン、パキスタンと、地中海からインド洋に至るルートを軍事的に支配する戦略で動いています。日本はそのネオコンの側についてイスラム社会と戦争を始めます。 ある意味では、ベトナム戦争よりも難しい戦争をネオコンは始めたことになります。2000年来の宗教対立という分野が加わっているからです。 もう日本にとって滅茶苦茶というしか表現の方法がありません。日本はそのような混乱した世界では生けていけないのです。資源や市場を海外に依存する日本は、世界が平和でなければ生けていけないのです。戦争よりは平和です。破壊よりは繁栄です。そして民族の滅亡よりは生存なのです。 そのような日本を建て直すために、このホームページは発言を続けていきます。この1年間、日本にとっても、私にとっても大変な年になると思います。でも頑張ります。皆さんも応援してください。 今年もよろしくお願いします。 (2004年1月1日) |
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第50回 (2月 2004年) 今日は2月2日(火)です。いよいよ旭川駐屯地の第2師団から、イラクのサマワに派遣される本隊の第一陣80名が、本日、千歳空港から政府専用機で出発します。すでに陸自・先遣隊20名が1月中旬よりサマワに入っていますが、本隊が出発するのは今日が初めてです。来月3月末頃までには、総勢550名の派遣隊がサマワに移動します。そしてサマワ近郊に宿営地を築き、給水や医療などサマワ住民のための人道・復興支援活動を行います。
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| 第51回 (3月 2004年) イラク情勢は治安の悪化をさらに強めています。米軍への襲撃事件は減少しましたが、米軍にかわって治安活動を担うイラク警察が自爆テロなどの襲撃にあっています。また昨日はバグダッドや中部カルバラで大規模な同時テロが発生し、今までに170名以上の死亡が報じられています。カルバラはイスラム・シーア派の聖地で、そのシーア派の祭典「アシュラ」が狙われました。爆弾は祭典に訪れた群衆の中で爆発しました。170名死亡は昨年のフセイン政権崩壊後最大のテロ事件になりました。 同じ時刻に、いくつかの場所で同時に起きる。攻撃方法も自爆テロや自動車に仕掛けられた爆薬、さらに近くから迫撃砲の攻撃といくつかの兵器が組み合わされて使われています。この手口は国際テロ組織「アルカイダ」のやり方に酷似しています。この同時テロの背後にはアルカイダの暗躍があると予測されています。 アルカイダの目的はシーア派を襲って、スンニ派への報復を誘い、イラク国内を内戦状態にさせることと言われています。しかし私はそれ以上に、アメリカ軍への信頼を低下させ、アメリカは強くない支配者というイメージを強調させる意味があると考えます。イラク駐留の米兵を殺さなくとも、米軍は何も出来ない、イラクに何もしないアメリカを強調すれば、テロリストの目的は達せられと思います。 今月で昨年のイラク開戦から1年になります。まさに1年前、アメリカはイラク軍に勝っても、イラクの治安を回復させることはできないと予測した通りになりました。イスラム国家は異教徒の支配を絶対に許さないからです。すなわちアメリカ軍は独裁者フセイン大統領を倒しても、イラク国民の解放軍にはなれないのです。ここがブッシュ政権の最大の誤算でした。 かつてベトナム戦争が終わった7年目に、アメリカ各地をまわってベトナム戦争の敗因を尋ねたことがあります。キッシンジャー元国務長官、ラスク元国務長官、ペンタゴン・ペェーパーのエルズバーグ博士、テーラー南ベトナム援助軍司令官(後、大使)、ケサンの攻防戦を戦った海兵隊連隊長、トンキン湾事件の米駆逐艦艦長、ソンミ村の虐殺を行ったカーリー中尉、グエン・カオキ副大統領(南ベトナム)、などです。全米で20人ぐらいは尋ねました。かつてベトナム戦争を指導したり、最前線で戦った人たちです。不思議なことに立場や経験が異なるのに、その人たちがベトナムでアメリカが勝てなかったことの認識は同じでした。 それはこうです。アメリカ人はアメリカ式の民主主義がもっともいいもので、それをベトナムに持ち込めばベトナム人は感謝し、幸せになると考えたそうです。しかしそのことに反対したのがベトナムの共産主義者です。彼らはアメリカを侵略軍として戦いを挑んできました。ベトナムの文化や伝統や歴史を無視する侵略者です。こうしてアメリカはベトナム戦争の泥沼にはまったそうです。すなわち結論は、アメリカ人がベトナムの文化や伝統を軽視したのが敗因だと話しました。 すでにこのことは何度も書いたり、話したことがあるので、多くの皆さんがご承知だと思います。しかし今、アメリカがイラクで行っていることはまさにベトナムと同じことだと思いませんか。昨日のカルバラのテロ事件で、現場に駆けつけた救援の米軍車両に多くの人が投石していました。その光景をTVのニュースで見て、このアメリカの戦争はベトナムと同じ過ちを繰り返していると強く感じました。 戦争は始めるのは簡単でも、やめるのは難しいという定理があります。日本も自衛隊をイラクに派遣することは簡単でも、撤退させることは至難の業です。日本がイラクに軍事的な野心を持っていないことは明白です。それでもテロリストに攻撃されることは避けられないと考えています。今月中に陸自本隊はサマワに移動完了します。来月からは支援業務も始まります。 どのような予測以外の事態になっても、イラク戦争の本質は見失わないように気をつけてください。イラク戦争の本質を見失わなければ、解決策は必ず見つかります。 (2004年3月3日) |
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第52回 (4 月 2004年) 今月9日は、イラク戦争でバグダッドが陥落して1年がたちます。フセイン政権が崩壊して1年です。まさにそれとタイミングを合わせるように、イラク各地で米軍を狙ったテロが多発し始めました。イラクで2月の米軍兵士の戦死者は12名でした。しかし3月には48人に増加しました。イラク・テロがイラク警察やシーア派など、警戒が緩いソフト・ターゲットに移ったという説は誤りだったようです。 その米軍への襲撃も巧妙さを増しています。あらかじめ米軍が通過する道路に爆弾(砲弾)を仕掛けます。それを生ゴミや動物の死体で隠します。米軍の車列が近づくと指令爆破して、車両ごと米兵を吹き飛ばして殺害します。さらに停車した米軍車両に、ロケット弾や迫撃砲で攻撃を加え、最後は付近の建物に待ち伏せしたゲリラが銃撃を加えます。 そして救援の米軍の攻撃ヘリや、装甲部隊が到着する前にゲリラ攻撃部隊は姿を消します。まさにゲリラ戦そのものです。反米のゲリラは人民の海で泳ぐ魚です。そこで米軍待ち伏せや、素早い撤退を可能にする人民の海が存在しているのです。このような危険な戦闘を米軍は忘れてしまったようです。ベトナム戦争はまさにこのような血みどろの戦いの連続でした。 これでは米軍は決して勝つことはできません。負けることはありませんが、米軍が勝つことができないのです。さらに気になるのはイラクの復興を支援する外国人が狙われ出したことです。非武装で中立的な外国人も犠牲者が続出しています。まさに無差別です。イラクの復興は米国のためで、イラクの富を盗む者への懲罰という口実です。もはやイラクではこのような極端な論理が語られています。 もちろんこのような論理に従うことはできません。しかしイラクの大量破壊兵器テロを口実に戦争を始めたのはアメリカです。その大量破壊兵器が発見されていないことを考えれば、イラクの反米勢力がすべて悪いとは言えなくなりました。また北朝鮮は明らかに生物・化学兵器を保有しています。アメリカは北朝鮮には無視してきたのに、なぜイラクでは軍事侵攻と軍事占領が許されるのかという問題もあります。 このことを最も喜んだのはアルカイダです。アメリカからわざわざ中東に来てくれたからです。原理主義的なアルカイダにとって、イスラム教に信仰心の薄いフセイン大統領はどうでもいい存在でした。しかしアメリカ軍を中東に誘い込んでくれたことにアルカイダは感謝していると思います。これからのアルカイダの戦略としては、できるだけ多くの米軍をイラクに長く駐留させ、反米攻撃を繰り返して支配力を増していく作戦をとるでしょう。 もうアメリカの西部劇のような、凄腕のガンマンが活躍する時代ではありません。 日本はそのイラクに自衛隊を派遣しました。イラクの戦後復興支援といっても、米軍のイラク支配を応援するための派遣であることは誰も知っています。今、サマワの自衛隊がアルカイダに襲撃されないのは、アルカイダが攻撃の時期と方法を考えているからです。いつ、どこで、どのような方法で攻撃するか、その決定権はアルカイダが持っています。それに対して、日本の側はあらゆる可能性に対応さいなければいけません。これははっきり言って無理です。テロに万全の対応をとることは無理なのです。だからテロが怖いのです。 私は今後のイラク問題の解決は、国連が強く関与するしか方法はないと思います。アメリカにイラクを統治する力はありません。日本は国連の職員やNGOの人が、誇りと責任を持ってイラクで働けるような環境を作るように努力すべきです。そのような成果で日本は国連の常任理事国を目指すべきなのです。日本の経済力や国連の分担金の多さで常任理事国入りを目指したのでは他国の尊厳を得られません。 今後のイラク情勢は、がんばってきた平和国家日本の重要な試金石だと思います。まずはアルカイダを孤立させ、イラクに本当の平和を作り出す努力を尽くすべきです。小泉首相の言葉には偽善やまやかしが多すぎます。 3月下旬にサマワの自衛隊は移動を完了しました。総勢550人がサマワの宿営地に到着しました。いよいよ日本とアルカイダの戦争が始まります。 つづく (4月1日) |
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第53回 (5 月 2004年) 6月末の政権委譲に向け、治安の悪化が高まるイラクですが、さらに米軍が管理する刑務所でイラク人拘束者への虐待が明らかになりました。 イラク人拘束者に米兵の虐待が行われているという内部告発は、今年1月に米国防省から公表されていました。そしてCID(米軍犯罪調査局)などの調査が行われ、3月には写真とともに詳細な報告書が国防省に提出されました。しかしラムズフェルド国防長官はこれに効果的な対策を講じず、報告書を公にすることもなく、ブッシュ大統領にも報告しなかったようです。 その報告書が、こんどはベトナム戦争でソンミ村の虐殺事件を報じた記者の元に届きました。こうして米国ニューヨーカー誌で、イラク人拘束者を虐待した事実が報じられました。その中には信じられないような虐待を示す写真がありました。イラク人やアラブ社会だけではなく、アメリカ人を含む世界中の人が米兵の行為に嫌悪感を持ちました。 実はこれらの虐待行為は軍事情報の収集過程で、捕虜に対して行う特別な尋問方法を活用したものです。すなわち捕虜が心に持っている秘密情報を、恐怖心を高め、自尊心(士気や使命感)を破壊することで、心に閉まった秘密情報のカギを開かせるという尋問テクニックです。 いくつものやり方がありますが、今回の事例で見ていくと、まず頭に袋をかぶせて縛ります。捕虜の視力を奪うことで恐怖心を数十倍、数百倍に高めることができます。袋をかぶせて見えなくし、首にプラステックの三角定規の角を喉にあて軽く押します。その痛みで捕虜は喉に鋭利なナイフが突き立てられた想像します。さらに強く押すと捕虜はナイフが皮膚を貫いて首に深く突き刺さると想像します。まさに死の恐怖を体験することになります。背中をボールペンの先で軽く押すだけで、鋭い槍を突きつけられたと想像します。これほどの恐怖を与えるのは他に方法がありません。 次に自尊心の破壊方法は、その捕虜の持つ宗教や生活(文化)で変わりますが、まず耐えられないような屈辱感を与えると効果的と言われています。イスラム教のイラクでは裸や犬が使われたようです。多くの看守の前で性(自慰)行為を強要する、裸で人間ピラミッドを造らせる。すべて自尊心を破壊するために行います。 さらにそれらの尋問効果を高めるために、暑い、寒いといった厳しい環境にさらす。大音響や明るい光で眠らせない。不規則な姿勢を長時間とらせることで疲労させる。殴る、怒鳴る、叱りつけるなど、そのような強いストレス下に捕虜を置くことで、尋問の効果は数倍に高まるといわれています。 でもそのような尋問方法は、戦争という極限状態で例外的に行われる禁断のテクニックです。心理的な専門知識もなく、その負の効果も知らない者が勝手に行っては、誰であっても厳罰を与えられます。おそらくイラクの刑務所で虐待を行ったものは、そのような尋問で人間性を失い、廃人同様になることを知らなかったのでしょう。 逆に兵士は尋問の効果に感嘆し、自分は尋問の天才と誤解したのではないでしょうか。 イラクではゲリラ戦争が戦われてます。米兵から見れば誰がゲリラで、誰が一般市民かわからない戦争形態です。しかしどのような住民であっても、その地域の戦闘をだれが指揮しているか、どこに武器・弾薬が隠されているか薄々知っています。米兵が戦闘員や非戦闘員の区別なくイラク人を拘束し、非常な尋問方法を使えばそのような情報を取ることができます。軍の情報部員はそのような情報の入手を喜んだと思います。そこで看守は自分自身を英雄化してしまった。 報じられている刑務所内の記念写真は、罪悪感のない看守(兵士)が行ったことの証明です。まさにアマチュアゆえの行為なのです。 ですからこれは組織的か、組織的でないかといえば、軍の情報機関(情報部)と拘束・取り調べ機関(憲兵隊)が行った共同行為で、まさに駐留米軍の組織的な行動と言えると思います。そこで私はラムズフェルド国防長官の責任は重大と考えます。ラムズフェルド国防長官は辞任して、今回の拘束者虐待事件の責任を取るべきと主張します。 今回のイラク人拘束者・虐待事件で、私はベトナム戦争でソンミ村民を虐殺したカーリー中尉を思い出しました。どうしてアメリカ人が今回のイラクと、昔の南ベトナムを同一視しないのか不思議でなりません。 (つづく) |
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休止 (6月 2004年) 6月初めから娘が体調を崩しました。さらに6月20日からは緊急入院することになりました。幸い、入院期間は2週間で退院できました。そのため何かと気になることが多く、毎月の更新が出来ませんでした。娘はまだ本調子ではないようですが、夏休みにはプールで鍛えたりして、元のように体調を戻すつもりです。また遅れた勉強にも力を入れさせます。 家族が病気になるというのは大変なことですね。我が家では初めての経験でした。まだまだ暑い日が続きます。皆さんも体に気をつけてお過ごし下さい。 |
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| 第54回 (7月 2004年) まだ関東は梅雨が明けていません。それなのに30度を超える猛暑が続きました。日中、都内をバイクで走ると熱風が肌に吹着つけてきます。そんなとき東南アジアの雨期を思い出します。インドシナでは雨期になると、日中には蒸し暑くて猛烈な暑さが襲ってきます。今の東京はちょうどそのような気候です。しかし東南アジアでは夕方になるとスコールがやってきて、夜間は比較的涼しく眠ることができます。しかし東京は夜も蒸します。 東南アジアでは小さなレストランで、天井で回転する扇風機の下で、外の雨を見ながら冷たいビールを飲むのが好きでした。雨(スコール)が止んでしばらくして、近くの屋台で夕飯を食べます。たいていは一人ですが、食事の時に外の騒音もいいもんです。人々が話す声や笑い声です。それに近くの屋台から流れてくる料理の匂いです。魚や肉を焼いたり、強い香辛料で煮る野菜の匂いです。 でも最近は東南アジアに出かける機会が少なくなりました。行っても3回に1回は家族旅行です。昔では想像できないような高級リゾートホテルに泊まり、白いテーブルクロスで食事をします。透明な水のプールで泳ぎ、夜は冷房が効いた部屋で眠り、蚊取り線香の心配もないような環境です。きれいな花が飾られ、おいしいフルーツが盛られ、清潔な部屋がある。部屋の冷蔵庫には冷たい飲み物が詰められ、食事は豪華で味も申し分ありません。 でも何かもの足りません。あの懐かしい騒音や匂いがないのです。これからは多くの日本人が、現地の騒音や匂いを感じることなく、美しい東南アジアを旅行するでしょう。でも旅行の機会があれば、現地の騒音や匂いを感じる旅行を考えてください。 私は僻地を旅行するとき、いつも4個の空き缶を持っていました。安宿に泊まるとき、空き缶に水を入れ、ベッドの足に置いておきます。深夜、床からダニが上がってこないためのアイデアです。またダニの中には壁から天井に上がり、そこからベッドに落下してくるやつもいます。油断は出来ませんでした。 そうそうフィリピンにはもう長いこと行っていません。フィリピンの昔は治安が悪かったですね。マルコス時代のことですが、夜間は11時から外出禁止令が出ていました。まだまだ日本のヤクザが進出してくる前の話です。 東京の猛暑で東南アジアの思い出が浮かんできました。その国、その国で独特な匂いってありますようね。ところで日本の匂いを知っていますか。私が外国に行った時、日本に行ったことのある外国人に必ず聞きます。「日本ってどんな匂い」という質問です。意外と多かったのは醤油の匂いだそうです。刺身から生魚の匂いを上げる人もいましたが、醤油の匂いが圧倒的多数でした。意外でしょう。 よく洋食はダメで、日本食がなくてはダメという人がいますが、このような人は醤油を持って海外旅行することをお勧めします。どこの国の料理にでも醤油をかけると日本食の禁断症状がなくなります。この味は日本人だけが感じるものらしく、醤油に慣れていない外国人には勧められません。 もうすぐ娘の夏休みになります。来月はどこかに連れて行こうかと考えています。本当は東南アジアでバスや汽車を乗り継いで旅行したいのですが、カミさんが嫌がります。空港からタクシー(もしくは迎えのバス)で行けて、プールやレストランのついたリゾートタイプのホテルでなくては嫌だそうです。屋台の食事など、もしお腹を壊したらどうするの、です。 むしろ今年は海外をあきらめて、車で東北を旅行することも検討しています。有名ではない温泉地を訪ね、名所、旧跡を巡る旅です。でも大都会育ちのカミさんと娘には興味がなさそうです。 だんだんと娘とカミさんが、私の感覚から離れていくのが楽しみです。その分、私が自由に行動できるチャンスが増すからです。「お父さんは勝手にどこでも行って。私と娘はハワイに行くからね」とくればシメシメです。そんなチャンスに恵まれたら、東南アジアの街に行きます。懐かしいあの騒音を聞き、アジアン・テーストの匂いを嗅ぐためです。そうしたら若いときのように、燃え上がる野火の如く情熱が沸いてくるかも知れません。 ごめんなさい。本を書くと約束してまだ書いていません。出版社の方に迷惑をかけています。なかなか燃え上がるような情熱が沸いてこないのです。でもそろそろ覚悟を決めて執筆に取りかかろうと思ってはいます。なんで元気が沸いてこないのかなあ。 つづく (7月12日) |
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第55回 (8 月 2004年) これから米軍は在日、在韓米軍を含め、世界規模で再編成(トランスフォーメーション)を行おうとしています。そのトランスフォーメーションを軍事的な感覚でいうなら、米軍は東アジアの区域(戦域)に東南アジアを含む考えをしたようです。 朝鮮半島、日本列島、西太平洋、東南アジア各国を含む地域を、陸軍は座間(神奈川県)にワシントン州から第一軍団司令部を移転させて指揮しょうとしています。これで陸地で接する中国やロシアの隣国である朝鮮半島国家(統一後)をサポート(支援)する考えのようです。しかし中国やロシアは戦略核兵器を保有していますから、米軍は朝鮮半島で中国やロシアと軍事的な緊張を高めるような行動は慎むでしょう。 しかしインドネシアやマレーシアなど東南アジイスラム原理主義過激派、パキスタンやアフガンのイスラム過激派とは非正規戦を挑む布陣を強めます。それを座間の第一軍団司令部が指揮をするつもりです。 海軍はグアム基地を強化し、ここに空母1隻を新たに配備し、さらに潜水艦9隻を配備したり、沖縄の海兵隊を移駐させて緊急展開能力を高めるつもりです。空母といっても一国の空軍部隊を攻撃できる戦力ではなく、アフガン戦争で空母キティーホークが戦闘ヘリ母艦(海兵隊や特殊部隊の発進・進攻拠点)として使われたタイプの戦争を考えているようです。そのため潜水艦も数百名の特殊部隊を乗せて、海中から密かに上陸して敵ゲリラの拠点を攻撃するような使い方を想定しています。 米空軍もグアム基地にB−52爆撃機を配備し、いつでも空から巡航ミサイルを撃ち込める体制をとったり、初めて米本土以外にステレス爆撃機のB−2を配備して敵国の指揮中枢機能を攻撃できる能力を高めます。さらに空中給油機や輸送機をグアムで集中運用して、中東への途中給油(空輸)能力を強化させます。また大型の無人偵察機が配備され、極東を含むアジア全域の監視能力を高めます。このように太平洋や東アジア、南アジア、中央アジアなど、米空軍の空からの軍事関与が強まることが予測されるので、ハワイの太平洋軍司令官を海軍大将から空軍大将に交代させます。 これらはアメリカが同時多発テロを受け、中東などのイスラム国家に勢力を張るイスラム原理主義過激派との戦いを有利に行うための配備です。しかしその戦いでアメリカが勝利すれば、石油の支配権が握れることを意味します。また他宗教に対して排他的なイスラム社会を従属させることも可能になります。 これをイスラム教徒の側から見ると、アメリカはアラブの石油を盗みにきたとか、イラクにイスラエルのような国を作ろうとしているとなります。さらに危険なことには、異教徒がイスラム社会を壊滅させるための戦争となります。そうなるとイスラム教徒の猛反発は必至です。アメリカは非正規戦という苦しい戦いに引き込まれていくでしょう。 日本の場合はどうでしょうか。このようなアメリカの好戦的な戦略に従属していくしかないのでしょうか。どこよりもアメリカの戦争を真っ先に支持し、その後方支援に武力行使を禁じられた自衛隊を派遣し、復興に必要な資金をどこよりも多く支出するしかないのでしょうか。そうすることがアメリカや国際社会から信頼と尊厳を得ると考えていいのでしょうか。 私はそうではないと考えます。アメリカでは戦争は正義です。国民の多くが戦争をして国益を追求することを善としています。反米的な国家や指導者は戦争で叩きつぶすことを善しとしています。しかし日本は逆です。日本では戦争をすることを悪と考えています。日本人の多くは国益を追求するために戦争で人を殺すことも、国民が戦死することも嫌悪しています。また日本は市場や資源を海外との交易に頼っています。世界各地で戦争や紛争で治安が悪化すれば、日本は資源や市場が断たれ存亡の危機に陥ります。日本は世界が平和でなければ生きて行けない国家なのです。 今の日本には世界の軍事情勢とどのように向き合うか、そのような国家戦略がありません。ただ米国(日米安保)との関係で軍事を論じたり、防衛体制を整備するだけです。またそのような軍事問題を民間や政党で研究する機関や組織もありません。 戦える軍隊を目指して再編を始めた米軍、脅威を失ってさまよえる自衛隊、このままでは日本が国家としての主要な柱を失います。そして米軍の戦略に追随するだけの国(軍隊)にされてしまいます。すでに海上自衛隊は日本の戦略よりも、米海軍のための軍事組織になっています。航空自衛隊も脅威を失って米軍に大きく傾き始めました。そして陸上自衛隊です。陸自ではゲリ・コマといえば何でも出来るような雰囲気が広がっています。そしていつも敵役に北朝鮮の武装工作員が想定されています。しかし今の北朝鮮が日本に向けて政治的な要求を掲げ、明確な意志でテロや破壊を行うでしょうか。日本に食糧100万トンを要求したが、日本が従わないので新幹線を爆破し、乗客1000人を殺した。それこそ日本は猛烈な報復を北朝鮮に行うでしょう。もし憲法が軍事的な報復を禁じていれば、直ちに憲法を改正して報復を行います。北朝鮮はそんなことができるような国ではありません。 米国は日本(自衛隊)やNATO軍に対して、いつも米軍の近くにいて治安を担ってくれる役割を求めています。まさにゲリ・コマはそのようなタイプの戦争を想定しています。ゲリ・コマなら何でも出来るといった風潮は決して自慢できるものではありません。 日本はなのために自衛隊を持つのか。その自衛隊の役割は何か。自衛隊と米軍の関わりはどうあるべきか。今の日本にはそのような国家戦略を考ええる風潮が必要です。 つづく (8月1日) |
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第56回 (9 月 2004年) 日本には国防に関する国家戦略がないと言われ始めました。今までは日米安保こそが国家戦略で、その関係強化や効率的な運用を目指せば、それが日本の国家戦略であると説明することができました。大多数の国民もそう信じてきました。 しかし米ソ冷戦は終結し、ロシアは日本の友好国になりました。中国も日本と対立を避ける努力をしています。先軍政治を掲げる北朝鮮は、国家の存在すら不安定で、崩壊する予兆を見せています。また日本では韓国ブーム(韓流)が起こり、韓国でも日本ブームが起きているそうで、60年代や70年代に韓国で燃え上がった反日闘争がウソのようになりました。もう日本の周辺には、日本を軍事侵略する意図や能力を持つ国はありません。 そして米国は日米安保に関係なく、対テロ戦争を掲げ、単独行動主義や先制攻撃論でアフガンやイラクで戦争を始めました。そしてベトナム戦争のようにイスラム教徒との戦争に苦戦しています。日本人もアメリカの戦争に無条件で追随していくことの危険をやっと理解出来はじめ、ならば日本の国家戦略とは何かという議論が起きたのだと思います。 もはや日米安保こそが日本の国家戦略とは説明できないのです。そこには憲法の問題もあります。自衛隊の特殊な事情も関わっています。朝鮮半島や中国との関係も変化しています。沖縄を中心に在日米軍の負担も耐え難いものになってきました。もう日本を守るために日米安保や在日米軍が存在するという説明は通用しません。 憲法に関しては積極的な護憲から消極的な護憲論、積極的な改憲論から消極的な改憲論まで、各政党で幅広い論議が行われています。しかしその背景にある国家戦略については明確(統一的)な姿勢がありません。そこをパウエル国務長官やアミテージ国務副長官から、「日本が国連安保理の常任理事国に入りたければ、憲法を改正して武力を行使できる国になれ」と言われる始末です。これは日本人の気持ちに関係なく、「常任理事国になりたければ核武装が必要だ」と言われたのと同じことです。まさに日本には明確な国家戦略のなさが最大の弱点になってきたのです。 そこで日本の国家戦略です。日本は何のために軍事力を持つのか。その軍事力を何のために使うのかというのが国家戦略です。今まではその答えはすべて日米安保でした。しかしもう日米安保や専守防衛という「答え」は万能ではないのです。これからは日本人自身が日本の軍事力の使い方を考える時です。 これから自衛隊でRMA化が始まります。今はアメリカ軍が圧倒的にRMAが進歩していますが、日本の産業界全体のRMA化潜在能力は計り知れないものがあります。もし日本の産業界がRMAで軍需産業化すれば、日本が再びアジアの軍事超大国になることも不可能ではありません。 そのようなことに気が付いていないのは日本人だけです。日本は太平洋戦争で神風特攻を行った国なのです。イスラムの自爆テロとは明らかに違いますが、自らの命を捨てて、敵を攻撃するというのは同じ行為です。そのような血(歴史)が日本人には流れています。さらにかつて軍事大国であったという日本人の血(歴史)は多くの国から警戒されています。 アジア各国が日本を警戒するのは、日本はRMA化で特攻機のパイロットの代わりに片手にのるロボットに操縦させる。爆撃機の代わりに精密誘導の巡航ミサイルが数千キロ航行して飛来するという恐怖です。そのような軍事技術力(RMA)が日本には潜在しています。アジアの各国は日本人が意識をちょっと切り替えるだけで、そのようなことが現実することを警戒しています。 もちろん日本人の多くは日本の軍事大国化を支持しないし、自衛隊が他国を軍事攻撃することを許さないと思います。 しかし日本には国家戦略がありません。 これから日本は軍事力を何に使うのか。最近はそんなことをよく考えています。そんなことを考えているうちに、来月のオフ会で、皆さんとそのような議論をしてみたいと考えるようになりました。これからオフ会の会場を探しにいきます。100人ぐらいが入れる安い会場を探します。10月の上旬頃に開催を考えています。ちょっと議論がエキサイテングするかもしれませんが、日本の将来を考える大事な機会にしたいと思います。 そのとき私が今までに体験したり、見たり、取材してきたことで、自衛隊の変化についてお話しする予定です。例えば、カーター米大統領時代(1977年頃)に在韓米軍の大規模撤退を主張した米国防省の高官が、密かに東京で海上自衛隊OB(将官クラス)と会い、「日本は軽武装でいい」と話したところ、「軽武装とは外国に軍事的な脅威を与えないことか、そんな戦力では抑止力にならない」と元海将たちが猛烈に反論したことがありました。私はその場にいました。また陸自のある師団長は、80年代に行ったインタビューで、堂々と私に「自衛隊は災害派遣を主要任務にするべきでない」と語った人がいました。それが当時は正統派の意見でした。あるいは日米共同演習が始まった頃、あまりに日米両軍で進攻テンポが違いすぎて、これでは共同演習にならないと頭を抱えた連隊長がいました。 そのようなエピソードを交えながら、私の体験から自衛隊が変化してきた過程をお話をします。それから皆さんで、「21世紀の自衛隊」(日本の国家戦略を考える)で議論して下さい。もちろん簡単に結論がでるようなテーマではありません。この日のオフ会は質問もOKです。普段から皆さんが疑問に感じていることを質問して下さい。いっしょに考える機会にしたいと思います。それでは10月2日(土)に会いましょう。 つづく (9月1日) |
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| 第57回 (10月 2004年) 10月2日(土)に第6回のオフ会を開催しました。テーマは「21世紀の自衛隊」(日本の国家戦略を考える)です。なぜそのようなテーマでオフ会を開くことにしたか、それを先月の「所長ご挨拶」に書きました。(資料室で公開しています) 私には日本がもっと誇りある国になるためには、自国の国家戦略を確立しなければ自立できないという危機感があります。もはや日米安保に頼ることも、これを否定することも、それが日本の国家戦略にならないのです。 10月3日(日)に私は横須賀(神奈川県)にある「少年工科学校」に行きました。この日が開校49周年の記念日で、同期生の大多数が今年・来年に定年を迎える「招待期」にあたるからです。学校には全国から現職・OBなど多くの12期生が集まりました。特に少年工科学校の12期生は、3年生の時の渡河訓練中に13人が水死したため、他の期と比べて団結が強いと言われています。また今の学校長の武田陸将補は12期生で、生徒出身では初の校長なのでいっそうの感激がありました。 式典、会食パーティーのあと、私は2年生の時に生活していた居室に行ってみました。その隊舎1階の居室には、新しいが確かに我々が使った2段ベッドがありました。ここで私の軍事人生が始まったのだと思うと、窓から見える風景や居室のロッカーに昔の思い出が浮かび上がってきました。 そして最終の少工校の送迎バス(駅送り)が出る時間まで、控え室で同期生たちと酒を飲み、語り会いました。さらに帰りの電車の中でも、同期生たちと昔話や部隊での武勇伝などを聞き、大笑いしていました。私は夕方6時頃に自宅に帰宅して、疲れていたせいで早めに眠りました。すると深夜の2時頃に目が覚めたのです。そのときベッドの近くに「裸の自衛隊」(別冊宝島社刊)があることに気が付きました。2日のオフ会の資料として、会に持参しようと思っていたのを忘れていたのです。 さっそく、この本を手にしてベッドで寝ころんだまま読み出しました。本の発行は91年5月です。湾岸戦争が1月17日に始まった年の5月です。 この「裸の自衛隊」は40万部も売れた大ベストセラー本なのです。出版社に送られてくる読者カードは、そのほとんどが現職の自衛隊員たちからで、自衛隊員から自分たちの本音が書かれた自衛隊本という強い支持がありました。発刊当時は自衛隊駐屯地の近くの書店では、すぐに本が売れきれるので買い占めが行われているのかと疑うほどでした。しかし間もなく編集部に送られてくる読者カードでその疑問は解けました。自衛隊員の熱い気持ちがほとんどの読書カードに書かれていたからです。 しかし当時の防衛庁広報室は、「ここまで書いたのか」と内容に驚いたと思います。内局の広報を通じて行った取材記事は1/3程度で、残りは編集サイドで独自に行ったルポ記事だったからです。この記事を取材した人や執筆した人は、信じられないくらい優秀の方ばかりでした。束縛されず、遠慮無く、本音で自衛隊と取り組みました。当時はまだ自衛隊が新隊員の募集難に苦しんでいました。今とは比較できないほど隊内の様子が違っていました。ですから今のように「明るい自衛隊」ではなかったのです。本を読むと、その当時の状況が今でもリアルに伝わってきます。 この本を読み直して気が付きました。自衛隊が明るくなるのは冷戦が終わった頃からで、初めての海外派遣のカンボジアPKO活動や、オウムのサリン事件で化学防護隊が出動したり、阪神大地震で災害派遣された部隊が活躍したからです。そのような事件や出来事を通じて、それまでの自衛隊とは大きく変身したと思います。明るくなったのです。昨日、少年工科学校を訪ねて後輩を見たり、この「裸の自衛隊」を読み直してそう感じました。 そして再び、本を開いたまま朝方まで眠ってしまいました。そのせいか今朝は気分がいつもと違うのです。今までとは人生観が変わったように感じるのです。昨日を境に、今までのライフスタイルと、これからのライフスタイルが異なった予感がします。もしかして私自身が今までの人生を昨日定年として、今日からは私の第2の人生がスタートしたのかもしれません。何だかそんな気分なのです。 同期の者たちは定年後の第2の人生で、自動車保険などの損保関連の会社に再就職する者が多いようです。交通事故などが起きたときに、被害者と加害者の間に入って補償交渉を行う仕事です。慣れない仕事を始めるので、ひとり一人が大変だと思います。しかし15歳から56歳まで、自衛隊にいたという経験は自信にもなったと思います。誰もが悲壮感を持っていませんでした。 私も29歳で軍事に関する最初の本を書いて27年になります。おそらく軍事の世界をジャーナリストして経験した期間は最年長クラスだと思います。これからは少しばかり自信を持って歩もうと思います。 私は私なりに今まで一生懸命に頑張ってきました。もう少し自信を持ってもいいことを、定年を迎える(迎えた)同期生たちは私に教えてくれました。 つづく 10月4日(月) 記 |
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| 第58回 (11月 2004年) 今、上記の11月と打ち直した時に気が付きました。そうそう、このホームページを開設して5年が経過したのです。2年前にも、「石の上にも3年の3年が経過しました」と書いた記憶があります。もう5年なのですね。先月はアクセス数が300万カウントを越えました。今ではこのホームページの更新が、すっかり私の生活の一部になっています。 朝起きて、午前中に朝食や洗濯、それにこの更新を行ってほっと一息というところです。その他に午前中にやることは、新聞やTVでのニュースのチェックです。毎日、ほぼ2〜3時間はニュースのチェックを行っています。 皆さんはご存じないかも知れませんが、我が家ではカミさんが朝食で、夕食作りは私の仕事と分担しています。カミさんがフルタイムで働いているので、夕食や洗濯、風呂は私の分担なのです。ですから毎日夕方になれば、今日の夕食は何にしようかと考えます。 すぐ近くにスーパーがあるのですが、毎日行くと恥ずかしいので、自転車やバイクで遠くのスーパーや商店街に買い物にいくこともあります。昨日は東京で最も物価が安いと言われている商店街に行きました。「砂町銀座」(江東区)と呼ばれている商店街です。我が家からバイクで10分ぐらいのところです。車の入れないほど狭い路地の両側に、長さ約500メートルほどの商店街が並んでいます。昨日、その商店街を歩きながら考えたのですが、もし外国から友人が来れば、この商店街を案内しょうと思いました。以前、スイスから来られた老夫婦を築地市場に案内したことがあります。早朝に起きるのが大変で、市場の中も混雑していて案内に苦労しました。しかし近くの「砂町銀座」なら、昼過ぎに行けば空いているし、日本独特の雰囲気を味わえると思いました。 店先で売っている焼き鳥や、おでん、コロッケ、肉まん、天ぷら、などなど、熱い熱つを近くの公園で食べることもできます。外国の人は喜ぶ雰囲気だと思います。 それから今月の行事で、ワシントンDCでオフ会をやることになりました。ちょうどアメリカでは大統領選挙が終わり、ブッシュ大統領の再選が決まったばかりです。ブッシュ大統領になって暫くして同時多発テロ(01・9・11)が起きました。それからアフガンで戦争が始まり、続いてイラクで戦争が始まったのは皆さんご存じの通りです。 その戦争はまだ終わったとは言えません。アフガンでは今年、大統領選挙が行われましたが、部族による地方支配の構図は変わりません。中央集権とほど遠い状態が続いています。さらにイラクでは今回の戦争で10万人を越える人が犠牲になり、米兵も1100人を越える兵士が戦死しました。さらにイラク中部のファルージャでは、今日も激しい空爆が続き、市街地を包囲した米兵が突入するタイミングをはかっています。ファルージャでは今年8月にも激戦が続き、多くの人が戦火で殺されたばかりです。米軍はファルージャが反政府組織の拠点と考えているようです。 英国の有力上院議員は、イラクで米兵が不足し、イラクに派兵された米軍13万8千人のうち、戦闘部隊は3万〜4万人程度しかなく、さらに練度の高い部隊を中心に18万人程度に増員しなければ治安維持は難しいと見ています。英国戦略研究所(IISS)もイラク軍・警察が治安を担うまで5年かかると予測しています。しかしアメリカ軍に練度の高い部隊とは、韓国や沖縄に配備されている部隊しかいません。イラクで不足した米兵4万2千人を補うのは、北朝鮮に向けて配備した東アジアの米軍に頼るしかないのです。これが東アジアにおける米軍のトランス・フォーメーション(再編・強化)なのです。 アメリカは「海外でテロと闘う」というスローガンを掲げたブッシュ大統領の政策で、東アジアの軍事情勢も大きく変化します。ワシントンDCでもオフ会では、そのあたりのことを参加した皆さんと話し合うつもりです。 ワシントン訪問は15年ぶりです。とくに同時多発テロ以降に、アメリカ東部に行くのは初めてです。首都ワシントンで何が起きているか、何が語られているか、私の大きな目と耳で感じてきます。 5年間、ありがとうございました。お世話になりました。これからもよろしくお願いします。
つづく 11月5日(月) 記 |
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第59回 (12月 2004年) 今月の14日でイラクに派遣された自衛隊の活動期限(1年間)が完了します。政府は1年間の延長を決めたと報じられています。今後さらに1年間ほど、陸自はサマワで人道的な復興支援を行うことになりそうです。
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