06年 Year Challenge
『 禁 酒 日 記 』への道 !
| 06年1月、私はこのHPで「禁酒宣言」をしてしまいました。 仕事が片づく夕方になれば、ワイングラス片手にキッチン・ドランカー(酔っぱらい)兼の夕食作り。1年前に12年間の夕食作りから解放されても、5時5分からは近所の居酒屋で、焼酎飲み飲み馴染みのお客さんと世相談義。そんな極楽な毎日に忍び寄るアルコール依存症の恐怖。そこで生活を改め、新たな挑戦を始めるために禁酒を宣言しました。そして起こる数々の禁断症状と、酒席への甘いお誘い。まあ、今日だけはいいかと言い訳しつつ、罪悪感に苦しむ日々が始まりました。そのような心と体の変化を正直に書き綴ります。でも私に完ぺき主義を期待しないでください。 |
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この情報の最も新しい更新日は12月20日(日)です。 |
| 今年の総括 二日酔いの回数激減 忘年会の数は3倍増 景気回復の兆しか (禁酒日数 0日 12月20日) |
今年はお正月に”禁酒宣言”して以来、お酒のことで大きな変化がありました。それは飲酒の量が激減したということです。まず、二日酔いで苦しむことが皆無になりました。今までは2〜3ヶ月に1回程度は、目覚めから午前中いっぱいは嘔吐して、飲み過ぎで二日酔いに苦しむことが度々ありました。しかし不思議と今年は一度もありません。いろいろ原因を考えましたが、まずは飲む量が半分程度になったと思います。最近は適量を飲むとすぐに眠くなり、夜の8時や9時台でも眠ってしまいます。ですから外で飲むのも近所の居酒屋さんが主で、一人で5時頃から飲み始め6時過ぎには家に帰ってきます。居酒屋で話しをするのは常連さんたちで、私はホッピー2杯(中ジョッキ2杯)と酎ハイ1杯(中ジョッキ)が適量で、肴に刺身を一人前か、それに冷や奴ぐらいを注文するする程度です。支払いは合わせて1500円程度ですね。
ホッピーというのは東京下町の飲み物で、焼酎に氷を入れ、ホッピーを注ぐとビールのような味になります。下町の格安の飲みもので、ビールの代用品のようなものです。私の大好きな飲み物ですが、女性の人がホッピーを飲んでいるのを見たことはありません。居酒屋の常連さんから、「テレビに出る者がホッピーなんか飲むな。ビールを飲め」と言われたことがあります。でも本当にホッピーはすっきして美味しいです。下町の地酒ですね。 それから最近は3杯目の酎ハイをやめて、家に帰って缶ビール(350CC)1本を飲むことも多くなりました。こうして総括してみると、やはり飲む量が激減しています。今年、禁酒宣言したことが少しは役にたったようです。生活のストレスからアルコール依存症へ一直線の道は避けられたと思います。 さて来年の目標ですが、「ホノルルマラソン完走への道」に決めました。来年の12月の第2土曜日がホノルルマラソンです。朝5時にスタートして8時間内の完走を目指します。そのためにご近所のランニングサークルに入りました。通っている会員制スポーツクラブのメンバーで組織されたランニング・チームです。この前の練習日を見に行ったら、60代の女性の方が最年長の様でした。40代、50代の男性も数人いました。私もいっしょに走ろうと思いましたが、前夜に飲んだお酒のせいか、朝9時からの練習(1時間)はつらいですね。練習日(日曜日)の前夜はお酒を飲まない方がいいようです。この前、ボストンにお住まいの方から頂いたアドバイスの通りです。マラソンを始めるとお酒が飲めなくなるというのは本当ですね。 それから最近の変化として、今年は忘年会の回数が例年の3倍ぐらいになりました。今年はもう8件の忘年会をこなしました。景気が回復してきたからかもしれません。でも昔のように、一晩に2件3件の忘年会を梯子するなんて絶対に嫌ですね。昔は明け方まで飲んで、次の日の午前中はトイレでゲロゲロして、夕方から少し仕事をしてまた忘年会です。連日、不健康の固まりみたいな生活でした。無駄な時代だったとは思いませんが、もう一度やれと言われても絶対に断ります。 まだ今年も11日間が残っています。前末年始で少しでも自由時間が出来たら、皆さんも少し走ってみませんか。昨日、私が近くの公園を走りましたら、ゆっくり走っても1分半程度しか走れませんでした。距離にすると150メートルから200メートルぐらいです。それから少し歩いて休み、再び走り出します。そして1分半程度走ってまた歩きます。これを1時間ほど繰り返しました。今はフルマラソンなんて夢のまた夢です。なにしろ40年ぶりのマラソン(昔は持久走)です。でもこの歳になって走るなんて楽しいですよ。無理をしないでやってみます。 |
| 健康診断 結果報告! 来年の目標が内定 健康第一 仕事は第2 (禁酒日数 0日 12月6日) |
先月の健康診断の結果が判明しました。本日、主治医から告げられた宣告は2点です。まずお酒の量を少なくすることと、体重を今の5〜8キロ程度ほど減量することでした。その他には異常ないそうです。
実は先日の同期・秘湯の忘年会で、私は来年12月のホノルル・マラソンに10キロコースで参加すると宣言してきました。しかしその後の調査で、ホノルル・マラソンはハーフコースや10キロコースがなく、すべてフルマラソンであることが判明しました。ヒェ〜。 しかたないので、来年は自爆覚悟で42キロのフルコースでホノルル・マラソンの完走を目指すことにしました。そこで昨日、荒川の河川敷で試しに走りましたら、1回で走るのは200メートルがやっという結果が出ました。軽いジョギング程度でも200メートルしか走れないのです。10分休憩してまた200メートルだけです。これには我ながら驚きました。現在の200メートルを来年の12月までに42キロまで伸ばす必要があります。 どうやらこれが来年の目標になりそうです。今年は禁酒すると宣言しましたが、来年は年末のホノルル・マラソンに参加して、完走することが目標ということです。 どうせ無理な目標だと皆さんは思うでしょう。実は私も絶対に無理だと思います。しかしちょっと面白そうだと感じています。マラソンに挑戦すれば、お酒の量も自然と減量すると思います。私にとってはまさに一石二鳥です。 この成否は来年の春までに決まると思います。来年の春までに10キロ程度を完走できる体力に達すれば、来年末の42キロにつながると思います。ウォーキングでは一日20キロ、30キロも達成していましたが、その程度ではフルマラソンに通用しないようです。 来年は趣味がマラソンと言えるように頑張ります。大変な努力が必要と思いますが、とにかく出来るだけ頑張ってみます。 |
| 緊急呼び出しで! 恒例の年末”同期・秘湯の旅” 露天風呂で初雪 (禁酒日数 0日 12月4日) |
久々の大失敗談です。 先日の12月2日(土)のことでした。午前8時15分に迎えの車に乗って六本木のテレビ朝日に向かいました。自宅を出る前に携帯電話を見ると、電池の残量がごく僅かという表示でした。「今日は土曜日の午前中だし、緊急の電話もないだろう」と思い、机上の充電器に携帯を差したまま自宅を出ました。そして9時半から始まった生放送の「サタディー・スクランブル」でテーマは「ロンドンでの暗殺事件」です。帰りはテレ朝から送りの車に乗って自宅に向かいました。確かテレ朝を出たのは午前10時半頃でした。車内で運転手さんと「今日は天気がいいから、午後から運動で10キロぐらい歩くつもりです」などと気楽に会話していました。ところが自宅について、家族が誰もいないことを知り、何気なく携帯の画面を見ると8件の着信履歴数が掲示してあります。約2時間で着信履歴が8件というのは大事件の発生を予感させます。まず私が想像したのは、北朝鮮で大暴動が発生したということでした。それでテレビ局やラジオ局から”緊急呼び出し”の電話かと思いました。
びくびくしながら、そのうちの1件に着信履歴から電話すると、「あの、神浦ですが」と言うと、すぐに「お前、何やっているんだ。今日は何日だ。出発は10時だろう。もう俺たちは特急に乗っているぞ」と聞き慣れた同期の声です。「でも温泉は来週だろう」と私が答えると、「切符を見ろ。今日の日付になっていないか」と言います。机の引き出しに入っている電車の切符(予約)を見ると11月2日でした。しかし私のカレンダーには来週の9日(土)と10日(日)に赤印がしています。勘違いをしていたことがわかりました。 「わかった。すぐに追いかける」と電話を切って、テレビ出演で着ていた背広から普段着に着替え、別の着替えの下着や靴下や防寒着をバッグに入れ、急いで自宅を飛び出しました。自宅前からタクシーで東京駅です。それから駅員のアドバイスでJR上野駅に移動し、上野駅で東京駅から来た新幹線に乗り、次ぎに下りたのはJR高崎駅です。そこから特急に乗り換えて、群馬県の「JR長野原草津口駅」に到着したのは2時半すぎでした。次の定期バスは3時間後と聞いて、駅前のタクシーで秘湯「尻焼温泉」に向かいました。今年の同期・秘湯の忘年会は、群馬在住の同期の世話で「尻焼温泉」の「関晴館別館」と決まっていました。それで同期たちは9時40分に上野駅に集合し、10時発の特急で出発する計画でした。でも私は同期より2時間遅れの午後3時半に温泉宿に到着です。8件の着信履歴は、同期たちが上野駅や特急の車内から私にかけた電話でした。 すでにひと風呂浴びて、ビールを飲みながらで休憩している同期たちに「バカだな。あれほど今年は12月第1週と言っておいたのに」と冷やかされました。そこで私も遅ればせながら、この宿自慢の露天風呂に入りました。すぐそばを川が流れ、目の前には急斜面の山がそそり立っています。今は紅葉の時期は過ぎていましたが、さぞかし紅葉は美しいだろうと連想させる光景が広がっていました。 今年は総勢24名で内4名がカミさんで4組が夫婦参加です。宴会はまず横須賀の少年工科学校の方向に向かい、訓練事故で死亡した同期13人に黙祷して始まりました。それから各自の近況報告や思い出話で盛り上がりました。私の近況報告は今日の集合に遅れた経緯と、着信履歴で電話して新幹線やタクシーで追いかけた話しをしました。口の悪い同期は、「だからお前は昔からダメなんだよ」「時間が守れないヤツは信用出来ないぞ」「来年はモーニングコールしてやるよ」などと好き勝手なことを言っていました。 宴会のあとは8畳の客間の一室で2次会です。山奥の秘湯ですから、風呂に入るか、飯を食うか、酒を飲んで話しをするしか、あとは寝るしかありません。2次会が終わった深夜11時を過ぎる頃には、露天風呂に入ると月夜に雪が舞っていたそうです。しかし私はすでに寝ていました。 私は翌朝の6時前に起きて朝風呂に入りました。脱衣室から裸で冷気の中を歩き、外の階段を下った川そばが昨日とは違う露天風呂です。お湯に入る頃に東の空が赤くなってきました。ちょうどそのときに小雪が舞い始めました。河原の露天風呂で少し熱めのお湯と、おそらくは零度近い寒気と、交互に体を温めたり冷やしたりして露天風呂を20分ほど楽しみました。そして朝食は同期とビールを飲みながらの山菜漬けや、うまい山菜炊き込みご飯です。 これで忙しかった今年もやっと終盤を迎えた気持ちになりました。帰りの特急でも車内販売の缶ビールと駅弁で盛り上がり、さらには上野駅到着後も、有志がアメ横に歩いて向かい、いつまでも別れを惜しむ最後の6人(私を含む)が居酒屋で雑談です。しかし私は気がついていました。昨夜の宴会から最後のアメ横の居酒屋まで、同期達の飲む酒の量が少なくなっていることをです。同期も50代後半を迎えて、昔の様に暴飲・暴食はできなくなったようです。 今年も楽しかった2日間の同期・年末秘湯の旅でした。来年は長野県の秘湯で同期会を行うことに決定しました。長野県在住の同期が世話をしてくれることになりました。昨年の同期・秘湯の旅は、那須塩原(栃木県)の秘湯で、猛吹雪の中で露天風呂に入った思い出があります。多くの同期が自衛隊を定年でやめ、第2の人生を歩き始めた者の中には、全く違う新しい環境で必死に苦闘している者もいるようです。とにかく頑張れ同期です。 |
| 忘年会・新年会の季節到来 再び、決意を込めて再開! ココ、意外と人気だそうです (禁酒日数 0日 11月21日) |
お久しぶりです。「禁酒日記の更新が止まっています。もう禁酒に成功したのですか」と聞かれることが多くなりました。驚いて、「エツ! あそこ読んでいるの?」と聞くと、「何となく読みます」だそうです。そんなことが少なくありません。
でも私はあまりにも禁酒が出来ないので、正直、自分でも嫌になって更新を怠っていました。夕方になると意識はお酒の方に移ってしまいます。通常は夕方5時半頃から6時半までが近所の居酒屋タイムです。夕食は自宅でカミさんの半手作り料理を食べないと怒られるので、7時までには自宅に帰ってきます。そんな毎日が延々と続いています。 そこで私は忘年会・新年会のシーズンを迎え、完全禁酒ではなく、3〜4項目のスローガンを掲げることにしました。それは@居酒屋は一日おきで毎日行かない。居酒屋に行く日は1回1000円ほど500円玉貯金箱に入れる。来年、夏休みに娘が短期留学する費用の積み立て。 A週に2日間の禁酒日(休肝日)を作る。その日はスポーツクラブに行く。 B毎日、夕方5時半までは飲まない。夜8時以降はお酒を飲まない。 Cお風呂には毎日入る、です。 特にCは必ず守ろうと思います。今まで、お酒を飲むとお風呂に入るのが面倒になり、ついつい「明日の朝でいいや」と抜いてしまいます。”健全な精神に健全な肉体宿る”でしたっけ・・・・・これは逆でしたか。言葉の意味から考えると逆な様な気がします。”健全な肉体に健全な精神宿る”ですね。まあ、どっちでもいいけど、誰もいないからと、昼間からお酒を飲んだり、家族が寝てからこっそりお酒を飲まないようにします。 と言いつつも、広島で食べた焼き牡蛎(カキ)とヒレ酒はうまかった。あんな美味いものがあるから、お酒がやめられないのだと痛感して痛飲しました。 明日は今年第1回目の忘年会があります。ロサンゼルスで英字新聞フリーペーパー(日系人向け)を発刊している友人が、帰国して東京で報告会を開いて、夕方から忘年会になるようです。ということは今日は休肝日(禁酒・運動日)ですが、カミさんが夕食は豚シャブと話していました。ゴマだれで食べる薄切りの豚シャブとお酒の相性は最高です。難しい問題を抱え込みました。 そこで私としては、4項目のスローガン実施は11月27日の月曜からということにして、この難しい問題の解決を図りたいと思います。どうです、素晴らしい解決方法でしょう。これが神浦流の”決定先延ばしの術”です。 ※そういえば昨日、広島の高速道路で家族を乗せてレンタカーでホテルから広島空港に向かう途中、背後からタクシーが高速で近づいて来たので、追い越し車線を譲るために左の走行車線に移ろうとした。そのとき助手席のカミさんが「危ない」と小さな声で叫んだ。左のバックミラーを見ると左わきに小型の乗用車がいるのに気がついた。すぐにハンドルを右に切って離れたが、危うく左の車に衝突するする寸前だった。私はまったく左に車がいることに気がついていなかった。その時、高速道路はガラガラの状態で、私は周囲をよく確認していたつもりだが、・・・・・・・・。今朝、同じ山陽自動車道路(姫路付近)でトッラク2台と乗用車の死亡事故を報じていた。昨日は、私自身が交通事故の恐ろしさを身に染みて実感した。これから年の瀬で忙しくなります。皆さんも自動車の運転には十分に気をつけてください。 |
| 北朝鮮 核実験 一瞬、冷や汗! やはり禁酒しかない (禁酒日数 0日 10月10日) |
昨日の10月9日の北朝鮮の核実験ですが、私には同時テロの9月11日とともに忘れられない日になりました。01年9月11日は夕方から友人と酒を飲み、かなり酔って自宅に帰り、そのまま早めに就寝しました。ところが夜も10時過ぎた頃、新聞社からの電話で起こされ、暗い部屋で白いテレビ画面に2機目の飛行機が高層ビルに激突しました。それから朝まで、ラジオの生放送中に必死で大量の水を飲んで、お酒の酔いを醒ました記憶があります。
昨日は連休で、天気は快晴、昨夜の夕食で残ったおかず(トンカツとポテトサラダ)があり、カミさんは仕事で留守で、おばあちゃんはディーサービスで留守、娘は前日の文化祭の疲れで朝寝中でした。冷蔵庫にはビール(発泡酒)が冷えています。テレビのニュースは安倍さんの訪中や訪朝を中心に流していました。 ちょっと最近は北朝鮮の核問題で忙しかったので、ここらで休憩するかと冷蔵庫に手が伸びてしまいました。そして軽く1缶目をカラにして、すぐに2缶目もカラにして、ゆっくり味わう3缶目に口がついたところで、テレビの画面で「ニュース速報」です。確か午前11時頃だったと思います。娘とコンビニに弁当を買い出しにいくジャンケンをしているときでした。 私が食べた酒の肴のトンカツは、娘のお昼ごはんのおかずで、やっと起き出した娘が近くのコンビニで弁当を買ってきてと言い出した頃でした。テレビのニュース速報を聞いて、あの9・11の悪夢がよみがえりました。でも昨日は夜ではなく、一般常識では飲酒が許されない午前中でした。これは明らかにいつも朝からお酒を飲んでいるとパターンになります。大急ぎで残った缶ビールの中身をキッチンで捨て、冷蔵庫からスポーツドリンクをガブ飲みすることにしました。間もなく、電話がガンガンと鳴り始めました。ところが不思議なことに、週刊誌の編集部やラジオの番組関係者ばばかりで、テレビの関係者は数件でした。それもすぐのテレビの出演依頼ではなく、核実験関連情報の説明を求めるものばかりでした。そして夕方4時頃には、自分でもやっと酔いも醒めたと思うようになりました。 今までは事件が起きると、事実や状況もわからないまま、すぐに呼び出されて、生放送のスタジオで飛び込んでくる情報を解説することが多かったと思います。ですが昨日は、何年ぶりでゆっくり電話で雑誌や新聞やラジオの対応をしながら、テレビ報道の流れや内容を、外部から詳しく見聞きすることができました。いろいろな専門家が話すコメントも聞くことができました。本当にいい勉強になりました。それでいろいろな問題点もよくわかりました。結局、最後の仕事は深夜12半からのTBSラジオに電話で出演です。今朝は4本のラジオ番組に出ましたが、3本は昨日の録音で、生放送は1本だけです。 ですから昨日はこのホームページの更新もゆっくりできました。でも今日は反省しています。やはりいくらヒマでも、朝からビールを飲むのは御法度(してはいけないこと)ですね。来月にはまた区の健康診断があります。ですから、きょうから再び禁酒に挑戦することにしました。 |
| やはり4日はスポーツクラブ はダメでした。 でも今日、行ってきました。 (禁酒日数 0日目 9月7日) |
4日はバッグに着替えを入れ、汗を拭くタオルや水分補習のスポーツドリンクをバッグに入れました。でもどうしてもスポーツクラブに行く気がしません。結局、近くの居酒屋で食前酒のホッピーを飲みました。夕食は家族で食べることにしているので、食前酒としてしか飲めません。5時から7時まで、居酒屋のテレビのニュースを見ながら、焼き鳥とホッピーで一杯やりました。
それから帰宅してメールを見ると、軍事通信員の銭湯犬さんから、近くで私が習っていた空手の流派の練習場を知らせるメールが届いていました。自宅から自転車で15分の距離にある区立の小学校です。翌日、さっそくその小学校に行き、副校長先生から空手の練習日と時間をききました。そして水曜日(6日)の夜、その小学校の体育館に見学に行きました。夜7時から8時まで見学しましたが、若い頃に熱中したスポーツはいいですね。小学生や中学生の練習を含めて、精神を集中して見てしまいました。そして結論は40年近いブランクがありますが、白帯から始めてみるかということです。 そこで本日、硬く固まった体を柔軟にするためにスポーツクラブに行ってきました。おそらく2ヶ月ぶりだと思います。今日のスポーツクラブでは柔軟体操(ストレッチ)を重点的に行いました。空手のケリや突きをするときに肉離れを起こさないためです。無理をしないために1週間ほどストレッチを重点的に行い、来週末からは空手の練習に白帯から参加するつもりです。週2回の練習ですが、焦らないでゆっくり精進を励むつもりです。 でも空手の練習の後で飲むビールはさぞうまいでしょうね。そのあたりにちょっと不安を感じています。 |
| 今日こそはスポーツクラブへ 「緊張感のない顔」に心傷 (禁酒日数 0日目 9月4日) |
参りました。実は7月25日からスポーツクラブに行っていません。7月のテポドン騒動が一段落して、昼間に気分転換にスポーツクラブに行きました。久しぶりの汗にストレスも発散し、気分も爽快になってきました。しかし運動中に休憩でイスに座ると、背後からオバサン達の会話が聞こえてきました。「緊張感のない顔をしているわね」「今、こんなところにいていいの」と、誰かのうわさ話をしています。間もなく、その話しが自分のことだとわかりました。それからそのスポーツクラブには行っていません。暑い8月は昼間を避けて、夕方から荒川の河川敷を歩いたり、ゆっくり走ったりしていました。信号のない運河沿いの裏道を行けば、自宅からバイクで10分ほどで荒川の河川敷に行けます。
でもスポーツクラブの会費は自動振り込みで払っています。スポーツクラブを辞めるか続けるか迷いましたが、今日久しぶりに、夕方に行ってみようと思います。一番空いている時間が夕方の4時から6時ぐらいです。恐いオバサンたちはいないと思います。 7月と8月で体重が3キロほど増えたようです。でも気分的に本当に行けるかどうかわかりません。スポーツクラブに行かないなら、気分転換に近くの居酒屋で生ビールに焼き鳥です。夕方、仕事を終えて、居酒屋に集まるオヤジさんたちは気楽です。 |
平穏な生活を奪った 北朝鮮のテポドン2 騒動 (禁酒日数 0日目 9月2日) |
平穏な生活が7月5日早朝のテポドン発射で一変しました。例によって猛烈に忙しい毎日が3週間は続いたと思います。その間、強い緊張とストレスに襲われました。もともとの平穏な精神生活に戻るまで、なんと8月末までかかりました。最近は緊急事態が発生すると、仕事の量が極端に増え、忙しい期間も長くなっているように感じています。そんな時でもストレスを軽減できるように、お酒以外の方法を考えておく必要がありそうです。
我を忘れて夢中になれて、一人でも楽しめる趣味を持つことですね。その意味で大好きだったヨットは、クルー(乗員)を集めるのに苦労して1年前に手放しました。アマチュア無線も最近のハイテクについていけず、書斎の物置で眠ったままです。それに若い頃に熱中した磯釣りも、海まで出かけるのが億劫(おっくう)になりました。 空手の組み手ではなく、「型」を練習するのがいいかと思いますが、私が自衛隊(少工校)で習った流派の道場が近くにはありません。今更、他流派の型を習う気にもなりません。ラジコンヘリと思ったりしましたが、都会ではラジコンヘリを飛行できる場所に行くまでに、時間がかかりそうです。まあ、ぼちぼち試行錯誤しながら、何か新しい趣味を持って、余裕のある生活を楽しめるように頑張ります。 |
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果たして、週1回程度の パーティーは適量か? (禁酒日数 0日目 6月19日) |
6月12日の定期身体検査も無事終わり、検査結果はまだですが、今回はいい結果(数字)が出たと思います。壊れたバイクを150CCの新車に買い替え、今週は慣らし運転を楽しむつもりでした。その平穏な生活をぶち破ったのが北朝鮮のテポドン2騒動です。
さらに15日(夜)にはヨット仲間の飲み会です。築地の鶏屋に”ちょい悪るおやじ”が25人ほど集まりました。そして久しぶりのお酒にしたたか酔いました。会費制 5000円 翌日の16日(金)、17日(土)、18日(日)の3日間、家から1歩も出ないで「テポドン2」対応に振り回されました。どんな質問にも答えられるように、資料を整理しながら、電話での問い合わせに対応です。まだ今日(19日)は発射に備えた厳重な監視活動が続いています。日没の17時頃まで、気が抜けないと思いますが、それでも昨日のような緊張感はありません。 昨夜はワールドカップの対クロアチア戦を見ながら、昼間の緊張を和らげるために缶ビールを2本(350CC)を飲みました。 今週は23日(金)に友人の出版記念パーティーが六本木ヒルズであります。その夜まで今日から再び短期の禁酒に挑戦します。その本とは、「『疑惑のアングル』 写真の嘘と真実、そして戦争」(進藤健一著 平凡社刊)です。その表紙を飾っている写真の風景がある場所(会場)で出版パーティーだそうです。会費制 6000円。 これからは自宅で飲むのをやめて、外で週1回ぐらいのパーティーもいいですね。もちろん2次会はなしで、10時前に帰宅できる軽めがいいですね。 そうそう、その翌週の7月2日(日)は横須賀の少年工科学校に同期が集まって、訓練中に水死した同期13名を忍ぶ会です。毎年やっていますが、定年・再就職組が増えて、新生活の報告を兼ねて集まるものが増えてきました。事故があった池を埋め立てた公園の慰霊碑の前で、39年前の7月2日の「あの日」を思い出して、一升瓶から注いだコップ酒を傾けます。来週は7月2日まで再び禁酒の覚悟です。 |
| 深夜の帰宅 寝酒の禁酒に成功!! (禁酒日数 1日目 6月6日) |
昨夜は9時半から11時半まで、朝日新聞社内にあるCSテレビ「朝日ニュースター」のスタジオで収録でした。司会は東海大学の葉先生で、ゲストは石破前防衛庁長官と、軍事アナリストの小川氏です。テーマは「中国の軍事脅威を検証」です。時間はたっぷり2時間ですから、時間を気にすることなく議論できます。
葉さんが、「今夜は軍事戦略論ではなく、兵器面で議論を進めたいと思います」で、開始のゴングが鳴りました。軍艦、航空機、ミサイルなど、中国が開発や配備を進める兵器から、軍事的な脅威を検証するという番組の趣旨です。あらかじめ葉さんが中国のインターネットに氾濫している軍事情報から、写真や数字を取り出して、最新の軍事情報で議論することができました。 特に海軍の艦船や空軍の航空機が好きな石破さんは喜んでいる様に見えました。結局、結論は、中国が日本の軍事的な脅威になるには、まだまだ時間がかかるでまとまりました。 番組収録が終わり、築地の朝日新聞を出たのが深夜の12時前でした。それから自宅に戻り、パジャマに着替えたのが12時半頃です。普通ならこれから、冷蔵から缶ビールを取り出し、夕食の残り物で1杯やるところです。最初が缶ビール×2で、次が焼酎の梅割×2で、その次がバーボンウィスキーのロック×2で仕上げです。 ところが昨夜は、1本の缶ビールも飲まずに布団に入りました。頭も寝酒がないので、なかなか寝付けませんでしたが、冷蔵庫から例のリンゴ酢入りの冷水で気を紛らわせていたら、いつしか眠ったようです。これで私の禁酒作戦も大きな山を越えたと思いました。おかげで今朝は目覚めも快適です。 きょうはこれから出版社との打ち合わせを済ませ、それから短いコラムを1本書いて、夕方からスポーツ・クラブに行きます。昼間に汗をかくような運動をすると、夜の寝付きがよくなるのです。 そうそう昨日収録したCSの朝日ニュースターは、葉さんの「日本をぶった斬る」で繰り返し5回ほど放送するそうです。今度の土曜日に放送すると話していました。衛星放送のCSなので台湾や韓国でも見ることができるそうです。チャンスがあれば見てください。2時間は長いですよ。 それからローカルですが、10日(土)の深夜に、名古屋のテレビに電話出演します。すでに収録していますが、「軍事評論家のお仕事」を、お笑い系の人たちの質問に答える内容です。あくまで匿名になっていますが、電話の声や話しの内容から私だとすぐにわかると思います。 とにかく今週は禁酒を徹底します。実は6月12日(月)に健康診断を受けます。今週、特に強い気持ちで禁酒と運動をするのはそうゆう訳なのです。前回は1月初めの健康診断でしたが、年末年始の過度の飲酒で血液検査の数字が悪かったのです。まだまだこの歳でお腹の脂肪や生活習慣病に負ける訳にはいきません。お酒好きな主治医さんと、互いに励ましながら禁酒と運動に励んでいます。 |
| 水戸街道 完歩 東京市道路元標 ”日本橋”に到着 お祝いに”とんかつ”と 生ビールで乾杯 (禁酒日数 0日目 6月5日) |
最後の行程に出発したのは昨日のお昼過ぎです。東武鉄道の東向島駅まで自宅から約20分の距離でした。ですから午後2時には水戸街道を歩き始めました。すぐに墨田区と台東区の境にある明治通りを横断して、台東区に入りました。約3キロ程度で隅田川を渡り、浅草の雑踏を横目で見て、ゆっくりと日本橋を目指します。昨日は各町内でお祭りが多く、各所で御神輿が練り歩いているのを見ました。下町のお祭りは盛大ですからね。
このままでは予定より早く着きすぎると、途中のコーヒーショップで休憩したり、お祭りで出店が出ている神社の周りを見て歩きました。それでも日本橋についたのは4時過ぎでした。6時に家族の出迎えを予定していたのですが、急いでカミさんに携帯で連絡をとり5時に早めました。でも日本橋は日曜の午後という時間で、大勢の買い物客などであふれています。恥ずかしいから花束贈呈は中止しました。しかし日本橋の上で1時間ほど待って、5時過ぎに到着した家族と合流して記念写真だけは撮りました。 それから秋葉原まで歩いて、約束の夕食を奢らされました。カミさんに”お祝いだから”と勧められて、私もビールを注文し、ついでにワインも飲みました。私は今までは油が強いからと控えていたトンカツを久しぶりに食べ、刻みキャベツに中濃ソースをたっぷりかけて頂きました。 でも本当のことを言いますと、完歩の達成感というよりも、”ああ、もう終わったのか”という寂しい気持ちでした。やはり旅は目的地に向かって近づいて行く気持ちが好きですね。 それから今回の徒歩旅行で気がついたことは、田舎と都会の落差が大きいことです。茨城県の水戸、土浦、牛久、柏、松戸などは田舎とは呼べないと思います。しかし段々と東京に近づいてくると、街が大きくなり、建物も高くなって密集してきます。なにより国道を走る車の量や、歩道を歩く人が多くなります。その格差がものすごく大きいのです。まさに都市の集中と、田舎の過疎の大きな落差です。今回の旅でそのことを痛感しました。 官でやっていることで民にできることは民間に移管するといいますが、都市でやっていることで田舎で出来ることは田舎に移すという考えが必要と思いました。あまりにも都市が多くを抱え込んだために、田舎での生活に支障がでているのではないでしょうか。 ともあれ、今日からまた禁酒生活に戻ります。今までの様に悲壮な決意をしなくとも禁酒出来る様に思います。 |
| 昨夜はトン・シャブ しかし禁酒を貫徹しました いよいよ本日 日本橋 到着決定 (禁酒日数 1日目 6月4日) |
トン・シャブというのは豚肉の薄切りを、しゃぶしゃぶのようにしてぽん酢やゴマダレで食べる料理です。私の大好物で肥満さえ気にしなければ3人前はぺろりでした。高級牛しゃぶよりも安いトンシャブがいいですね。でも私が子供の頃は食べたことも見たこともありませんでした。日本全体が貧しかったから、お肉をむしゃむしゃ食べる料理なんて夢でした。
やさしいカミさんは私がビールを飲まないというのに、食卓にビール用のグラスを並べてくれました。さらにチーズの盛り合わせです。これでもか、これでもか、と攻めてくるようです。しかしこの時に、冷蔵庫の隅で眠っていた強い助っ人が現れました。リンゴ酢です。グラスに1/3ほどリンゴ酢を入れ、そこに氷と水を加えます。飲むとうまい物ではありませんが、お酒を飲みたいという気持ちだけは消えます。リンゴ酢の酸味が精神的な乾きを潤しているのかもしれません。 これを3杯ほどお代わりをして、トン・シャブとビールという絶妙の組み合わせを防ぎました。 さて、いよいよ水戸街道も残り10キロぐらいになりました。その仕上げを今日、行うことに決めました。仕上げは来週と思いますが、娘の学校で来週の土日は2泊3日のオリエンテーションが行われるそうです。そこで今日に決定です。 3時には一昨日の場所から歩き始め、日本橋には夕方に到着する予定です。そして娘からお祝いの花束(やらせ)を受け取り、そこをカミさんが写真を撮ります。背景に日本橋の道標が立った記念写真です。それから近くのレストランに移動して、わたしのおごりで家族との夕食を食べます。出迎えのバイト代みたいなものです。意外と高くつきます。それにしても娘が、「もうお父さんに付き合うのはこれが最後ね」といいました。「今日、日本橋に来なければ、もうお小遣いはやらないぞ」と娘に言ったあとです。父親と娘というのは寂しいものですね。 |
| 昨日、最長距離を歩く しかし生ビールを飲む! 中ジョッキ 2杯 問題は今日の夕食! 飲むか、飲まないか? (禁酒日数 0日目 6月3日) |
昨日は快調でした。午前9時にはJRの柏駅(千葉県)に到着し、9時5分には水戸街道を歩き始めました。空には雲が広がり、暑い直射日光を遮ってくれました。でも雨の心配はありません。昨日の最高気温も25度にならなかったと思います。
午前中に松戸を過ぎ、江戸川の手前で昼食タイムです。なぜか今回の昼食も”冷やし中華”(辛い四川風)でした。熱いラーメンは食べる気がしないし、ファミレスの”ハンバーグ・ランチ”も胃が受け付けてくれません。お店に入ってシャツに触ると、汗をたっぷり吸って濡れていました。テーブルに置いてあった冷水ポットから、食事前にコップで4杯も水分を緊急補給です。 そして昼食後間もなく、東京と千葉県の境を流れる江戸川を”渡し船”で越えました。この渡し船は”矢きりの渡し”という観光名所で、ちょっと水戸街道を離れて、片道100円の和船に乗って江戸川を越えました。この渡し船で対岸の東京都に入りましたが、そこが映画の寅さんで有名な葛飾柴又です。まず柴又帝釈天に参拝し、参道の商店街を歩き、柴又駅前に行きましたが、そこで地図を見て大きく水戸街道を離れていることに気がつきました。柴又駅前の商店街の人に教えられ、約2,5キロ歩いて水戸街道に戻りました。そして再び、水戸街道を日本橋方面に向かって歩き始めました。その時が午後2時頃でした。 東京23区の葛飾区は長い。大きな交差点を越えるたびに、地名が葛飾区から足立区に変わることを期待していましたが、いつまでも葛飾区が続きます。もうこうなれば今日は足立区に入るまで歩き続けることが目標になりました。すると段々と足が痛くなりますが、もう我慢するしかありません。歩速はかなり落ちたと思います。しかし4時近くになって、小さな橋を越えたところで地名が変わりました。そこは足立区ではなく墨田区でした。この時、水戸街道は足立区を通っていないの知りました。墨田区といえば私の地元のすぐ近くです。でも日本橋まではまだ10キロ程度はあるでしょう。残りの距離を詰める様に歩き続けます。そこで水戸街道と交差している東武線の東向島駅を見つけました。まだまだと思い、一旦は通り過ぎましたが、腕時計を見ると4時半を過ぎています。その瞬間に、足が向きを変えて、東向島駅に向かって歩き始めました。 東向島駅で電車に乗ったのが4時40分です。そして途中で1回乗り換えて、私の地元の地下鉄の駅についたのが5時15分頃だったようです。この時間がよくなかったのです。地下鉄を出たところに、私がよく行っている”居酒屋”があります。そのお店はいつも4時から営業しています。 昼食(冷やし中華)で水を飲みすぎたため、あれから水分を補給していません。(そうだ、渡し船に乗る前に、船賃の小銭を作るために売店のラムネを飲みました)。ですからもう喉はカラカラですし、自宅に帰っても、4時から5時までお客さんが来てる予定になっています。その瞬間に邪悪な好奇心がわいてきました。 5日間もお酒を飲んでいないと、急なお酒に体がどのように反応するか実験です。そこで居酒屋に直行です。もちろん注文は「中生!」です。お酒を飲まない人に説明しますと、中生(ちゅうなま)というのは中サイズのグラスに、ガンガンに冷えた生ビールという意味です。うまかったですね。ここ数年間、あれほどうまいビールを飲んだ記憶がないぐらいに美味でした。1杯目は気絶するくらいの美味でした。中生2杯目は落ち着いて、ゆっくりゆっくり味わって飲みました。 3杯目を注文するか迷っていると、リュックに着けた携帯に電話がかかってきました。相手はカミさんです。「どこにいるの」と尋問です。「駅前の00屋(居酒屋)さん」と答えると、「何やってるの〜。ちょうどいい。お客さんが帰ったから買い物に行くの。重いものがあるからスーパーまで来て。今すぐ」で、今回の中生3杯目は中止でした。ちなみに重いものとは、今はカミさん専用になった缶ビールのことです。 バッグの中からカメラを出し、馴染みの居酒屋のオヤジさんを撮影して、飲み代の料金1350円(中生2杯とモズク酢)を支払って居酒屋をでました。 生ビールがうまかった以外に特に体に変化は起こりませんでした。しかし”疲れ”か”酔い”かわかりませんが、家に帰って夕食を済ませると、急に眠くなりました。8時前には眠ったようです。夜中に一度起きて水を飲みましたが、今朝は6時まで完ぺきに熟睡です。だから今朝は気分が爽快です。足が多少痛みますが、夕方はスポーツクラブのプールに泳ぎに行きます。 問題は今夜だと思います。今朝の天気予報が今日の最高気温は18度というと、カミさんは夕食は”ナベ”を宣言しました。娘が「手抜き料理 No1のナベ料理」というと、寒い時はナベに決まっていると意に介しません。ナベ料理にはお酒はつきものです。私が今夜のナベで禁酒できるかです。なんとか禁酒したいと考えています。 私は24時間以上お酒を飲まないと血液からアルコール分が抜けない。だからお酒を飲まない休肝日は2日以上が必要という本を読みました。また最近の禁酒体験で、お酒を飲まない時の気持ち良さを知りました。どのように違うかといえば、例えば本を読んだり原稿を書く時、バックグランド・ミュージックが流れているとします。若い時は好きな音楽が気になりませんし、そのほうが仕事の効率が上がるかもしれません。これが血液に微量でもアルコールが含まれている状態とします。しかし血液に微量でもアルコールが含まれていないと、そのバックグランド・ミュージックが聞こえてこないような静寂を感じのです。私の様に50才を越えてくると、ものを考える時には好きな音楽よりも静寂の方がいいのです。まあ、これが血液からアルコールが抜けたときの快感なのです。血液からアルコール分が抜けると集中力が高まり、長く持続するように思います。これが気持ちいいのです。若い人にはちょっと理解しにくい感覚と思います。 |
| 難なく4日目を突破 まったく禁断症状無し 今までは何だったのか? (禁酒日数 4日目 6月2日) |
不思議というか、予想外というか、まったくお酒が欲しくなくなった。ちょっと飲んでみるかという気持ちがわいても、でも今のクリアーな気持ちの方がいいと、禁酒の方を選択してしまう。今まで禁酒で苦しんできたのは何だったのか。
とにかく今日は水戸街道を歩いてきます。いっぱい汗をかくと思いますが、歩き終えた時にビールを飲むか楽しみです。飲んだ場合でも、その時の気持ちを正直に報告します。むろん飲まない場合も。では、行ってきます。 |
| 現在、禁酒3日目の夜 大きな忘れ物に気がついた 体調に変化無し (禁酒日数 2日目 5月31日) |
現在、禁酒3日目の夜が来た。すでに夕食を終え、10時からNHK・TVで放映するその時歴史が動いた、「戦場の真実を伝えたジャーナリストたち」を待っている。今夜も禁酒に成功した。もう3日目である。精神的な動揺(禁断症状)はなし。どうやらこのまま禁酒が続きそうである。
3日間もアルコールが体に入ってこないせいか、脳の働きが活発になったように感じた。何だか自分の行動に責任が持てそうな気がしてきた。もっと家の外に出て、他人と関わったり、別の世界を覗いて見たくなった。関心が外に向かい始めたのだろうか。 本日は夜になって、取材の電話が2本入った。今までと違って酔っていないので、質問には明解に受け答えできたと思う。アルコールが体(血液)に入っていないというのも快感である。 これと同じ体験をしたのが禁煙である。若い頃は原稿書きで徹夜した時は、一夜でショートホープ(たばこ)を2箱(20本)ぐらい吸っていた。しかしある時、必死に禁煙しょうと思わないのに、いつの間にか吸わなくなっていた。今はまったくたばこを吸わない体質になった。今回の禁酒もあの時と同じ事が起きているのだろうか。数年前に酒に酔った時に、たばこを1本もらって吸った。しかしその半分も吸えなかった。無理して頑張って禁煙する必要がなかった。 そういえばパチンコに狂った時もこうだった。とにかくパチンコが好きで、ヒマが出来ればパチンコに通った。取材で地方を訪れたときも、必死にパチンコ屋を探していた。それが5年前頃に急にパチンコが興味なくなった。今はまったくパチンコをしたいと思わない。 そして思うことは、その時、その時に、大きな忘れ物をしてきたことに気がついたことだ。やるべき事をやらず、成すべき事をなさず、時間が過ぎるままに過ごして失った忘れ物である。 明日は以前から考えていた新しい仕事のドアを叩くつもりだ。アルコールの抜けた脳が新しい挑戦に目覚めたようである。 |
| 2週間で減量3キロ 約3ヶ月振りに禁酒日に成功 雨天で徒歩再開できず (禁酒日数 1日目 5月29日) |
昨日、朝起きた時、もうお酒の飲むのはやめようと思った。ただ何となく長い期間飲み続け、大した理由もないのに突然に飲酒をやめる。これも一種の禁酒のスタイルと思う。昨夜の夕食のときにカミさんが隣でワインを飲んでいたが、私は欲しいとは思わなかった。夜も11時過ぎまで起きて、普通にテレビを見たり、本を読んで過ごした。眠ったのはたぶん11時半ごろだった。そして起きたのは4時過ぎである。もし昨夜の禁酒の禁断症状が出ているとしたら、今日は睡眠時間が少ないのに眠くないことである。今夜も無理をしないで禁酒ができるような気がする。
あえて禁酒の理由を考えれば、毎晩お酒を飲んで、家族と雑談する機会を失っていると気がついたこと。子供がやっと高校生になって、これから親として話しておかなければならないことがあると気がついた。毎晩、毎晩、お酒で酔っぱらってはいれない。そして私自身も、まだまだやるべき事がたくさんある。 なぜそう思う様になったのか、私もよくわからない。変わったことがあったかと言えば、先週末にバイクが故障して廃車になったことぐらいか。250CCのホンダ・フリーウェー(スクーター)で、子供が生まれた年に中古で購入した。もう16年も前である。何度もバッテリーやタイヤを交換したし、急に左折したタクシーと衝突転倒したこともある。そのバイクが動かなくなった。数ヶ月前からエンジンの吹き具合が悪いと思っていたが、ついに動かなくなった。そういえば、ちょうど私が日常的に、夕方になるとお酒を飲み始めた頃に買ったバイクだった。子供が小さい頃には、風邪で熱を出せば、厚着をさせてバイクの前に乗せて病院に通った。天気のいい日は、残った昨夜のおかずを弁当に詰め、東京湾の岸壁までバイクで走り、一人で海を見ながらお昼ご飯を食べたことが何度もあった。 今はバイク屋さんの廃車置き場で、リサイクル業者によって解体処理をされるのを待っている。廃車置き場の見慣れたバイクに、親しい友人を見送るような寂しい気持ちがした。 私にとって、ひとつの時代が過ぎ、また新しい時代が来た様な気がする。とりあえず私の意識の中で、言い現しようのない変化が起きている様に思う。これが一時的なものなのか、それとも本当に新しい気持ちの始まりなのか。ちょっとばかり精神の高ぶりを感じる。 |
| 久しぶりに25キロ程度 残り30キロを切りました。 いよいよ日本橋が近くに (禁酒日数 0日目 5月22日) |
昨日は久しぶりの晴天でした。前日からの予定通りで早めに起床し、朝食も食べないで牛久(茨城県)に向かいました。6時45分の地下鉄に乗り、JRの「ひたち野牛久駅」に着いたのが8時前でした。さっそく水戸街道を東京に向かって歩き始め、晴天で風も心地よく、まわりの風景を楽しむ快適な出発となりました。
8時45分には牛丼チェーンで朝定食を食べ、そのときに洗面所で短パンとTシャツに着替えました。昼すぎには県境の取手市を通過し、利根川を渡り、そこで茨城県から千葉県の我孫子市に入りました。お昼をすぎてから暑さが増し、足が痛くなって急にブレーキがかかりました。時間は午後1時半頃だったと思います。その時、国道の道標で”東京まで47キロ”と書いてあるのを見つけました。同時に柏市まで標識で8キロでした。 その時、「よし、今日は柏まで歩く」と決心し、痛みだした足をかばいながら、とぼとぼと歩き続けました。その途中の脇道で、道路のそばの竹藪で日陰ができ、風が通り抜けている場所を見つけました。車も通っていないので、道路の日陰に座って足を伸ばしました。その時、自転車で空き缶を集めている男の人(65才ぐらい)の知り合い、会話を楽しみました。その人は毎日我孫子周辺を自転車で回り、アルミの空き缶を集めているそうです。1日で2000円ぐらいを稼ぎ、そのお金で生活をしているそうです。また近くの沼にいる白鳥の世話をしていて、毎日、朝夕2回、沼の白鳥に食パンをやっているそうです。その休んだ時間は約20分ほどですが、結構、楽しく雑談ができました。 結局、柏駅についたのは3時半でした。やはりここが足の限界でした。そこから北千住駅までJRで行きましたが、電車賃は320円(たぶん)でした。朝、北千住から出発点のひたち野牛久駅まで840円(たぶん)だったので、電車賃で今日は520円分を歩いた事になります。ちなみに柏市の道路で東京まで29キロの標識を見ました。昨日の4日目は今までの最長距離を歩いたと思います。ただし万歩計を忘れたので、正確な距離は地図で計算しないとわかりません。でもいよいよ30キロを切り、到達目標の日本橋が視野に入ってきたように思います。 それから気になったことがあります。それは国道6号線に沿って歩いているのに、歩いている人をほとんど見かけません。1時間に一人も見ないことがたびたびあります。自転車に乗っている人もわずかで、それも中高生といった若い人だけです。歩道と車道(バイパス)の区別が明確になったのか、車社会で歩く必要がなくなったのか。その正確な理由はわかりませんが、日本人が歩かなくなった事だけは確かです。今、話題になっている内蔵脂肪症候群(メタポッリク・シンドローム)と深く関係していると思います。 それから足の痛みですが、今回はふくらはぎの痛みで、以前の様に足の裏の痛みではありません。足の裏は、靴のかかとにエアーの入ったウォーキング用のスニーカーを履き、靴の中に底敷きでショックを吸収できるものを入れました。これでかなり足の裏と膝の痛みが軽減したと思います。 まあ、到着地の日本橋が見えてきたので、途中の北千住で電車を降りて、駅近くの焼鳥屋で1杯やりました。その焼鳥屋のメニューに下町特製ドリンクという飲み物がありました。中ジョッキ1杯が350円です。試しに頼んでみたら、これが焼酎と炭酸をベースにしたものに、大量の氷と少量のウィスキーが入っているものでした。飲んでも薄くてお酒を飲んでいる気がしません。私が若い頃に山谷(ドヤ街)で飲んでいた爆弾酒(韓国の爆弾酒と違う)は、中ジョッキに安い焼酎が1/3で、ビールが1/3で、安いウィスキーが1/3でした。中の氷はごくごく少量で、中ジョッキで1杯が100円でした。爆弾を3杯飲めば完ぺきに酔っぱらっていました。シメサバが一皿120円で、冷や奴が70円の時代です。爆弾を3杯飲んで、おつまみを2品頼んで、支払いに500円を出して10円のお釣りがありました。もう30年も前の話しで、今の山谷は旅の外国人が、格安の宿を探して集まってくる街になっているそうです。 そうそう若い人は絶対に爆弾酒は飲まないでください。これは体を壊すか、重傷のアル中になります。韓国の爆弾酒よりもアルコール度は高いと思います。「混ぜるな・危険」です。 |
| 東京は梅雨を思わせる曇天 牛久に出発できません スポーツクラブで大失敗 (禁酒日数 0日目 5月19日) |
東京は今日も雨が降っています。まるで梅雨を思わせる空で10日間も雨が降ったりやんだりです。足の傷は治りましたが、前回、土浦から牛久まで歩いた再出発点の牛久に、天気が悪くて行くことが出来ません。これほど長く曇天が続くとは意外でした。
しかしスポーツクラブで運動だけはやっておこうと決め、夕方は4時半には仕事をやめて、スポーツクラブで汗を流していました。約2時間ほどです。かなりきつめの運動をしますが、その分、ストレスが解消してお酒の量が極端に少なくできます。また夜もぐっすり眠ることができます。 しかし先日、そのスポーツクラブで大失敗をしてしまいました。運動を終えてロッカールームで着替えていたところ、娘の同級生のお父さんと出会いました。その人はスポーツクラブでテニスをやっているそうです。その人が軽い挨拶のつもりで、「どう、忙しい」と言われました。その時の私の答えがまずかったのです。「ヒマ、ヒマ、何か仕事ない。ビラ配りでも、チッシュ配りでも何でもやりるよ」と軽い冗談のつもりで話しました。しかし私の大きな声に、ロッカールームはしーんと静まり返ったのです。一瞬、凍り付いたような雰囲気でした。「しまった」と思いました。 私は冗談のつもりですが、皆さんは本気と思われたようです。それから数分間と、数日後は、皆さんの同情の視線を浴びることになりました。「あの軍事評論家は、今、平和で仕事がない。それでお金に苦労している」という同情のイメージですね。私はスポーツクラブの誰も、私の事を知らないと思っていましたが、どうやら皆さんは気がついていたようです。そんな人の前で、「ヒマだから、何かアルバイトない」はまずいですようね。それも大声でした。自分のセンスのなさに数日間は、ちょっと落ち込んでしまいました。ちなみに同級生のお父さんは私の言葉を本気だと思ったそうです。その方はカバンなどの革加工職人で、もう何年も挨拶はいつも「どう、忙しい」しか言いません。いつもは「まあまあ」とか「それなり」と答えますが、たまには変わった挨拶を返してみたくなったのです。それで失敗をしたようです。それに私はフリーの人間はどんな時でも「忙しい」と話すべきでないと思っています。目の回る様な忙しさでも、「まあまあね」と言うぐらいです。その生活習慣が裏目にでたようです。 当分はスポーツクラブに行く時間を変更しようかと思っています。しかし夕方のニュースを見ながら、ウォーキングマシンを歩いたり、バイクをこぐのは気に入ったのですが。まあ、いいか。軍事ジャーナリストがヒマな時は世界が平和であることは間違いないですからね。 |
| 無念の断念 土日は無駄に過ごす 今週中に完歩を決意 (禁酒日数 0日目 5月15日) |
東京方面(南関東)は土(13日)と日(14日)が雨で、晴天は12日(金)だけと11日(木)の天気予報が言った。よしそれなら12日は早朝から歩こうと決意し、11日の夜に風呂から出た後で、マメが潰れた足の裏の手入れをした。見ると足の裏で潰れたマメが、厚い皮になって剥がれかかっている。それをつまんで一気にはぎ取ったら、かなり深く剔(えぐ)り取ってしまい、かなりの痛みと出血があった。でも傷を消毒もしないで、そのままにして寝たら、翌朝は歩けないほど痛くなった。とても外を歩ける状態ではない。家のトイレに行くにも、手で壁を伝わって歩くほど痛い。
結局、快晴なのに12日は夕方まで家から一歩も出ないで、来週予定の原稿を書いた。ついでにTシャツなどの夏物の衣類を出し、厚手の冬物の衣類を洗濯して仕舞った。12日だけでかなり仕事が進み、土日は特にすることがなくなった。 以前ならこんな時はすぐに本を読むが、今回は連休中に読めなかった新聞を読み、米軍再編だけで新聞の切り抜きを作った。 12日の夕方、散歩のつもりで娘の自転車を借りて公園などの近所を回っていると、看板に昭和調の飲み屋と書いてある居酒屋ができていた。ビルの2階にある店で、狭くて急な階段が入口だった。ちょっと興味がわいてきて迷わず階段を上がった。2階の店内は意外に広く、壁に石原裕次郎や小林旭の映画ポスターが貼られている。この店では料理も飲み物もすべて300円均一。生ビール(中)が300円で、焼酎の水割りも300円、私は焼酎のロックを頼んだらこれも300円でした。それも1枚が300円の食券を何枚も買って、注文の時に切って渡すシステムでした。料理に”しめさば”と”冷や奴”を注文して600円。壁に掛かっているテレビでは、懐かしい「あしたのジョー」をやっていました。一人でしたが意外と楽しく過ごしました。でもあの急な階段は「行きはよいよい、帰りは怖い」ことになりそうな気がする。酒飲みしかわからない予感である。 夕食は家族で食べるという掟があるので、カミさんが帰宅する6時には自宅に帰りました。カミさんに外で飲んだ来たことがわからないように、書斎に缶ビール1本を持ち込み、お酒臭いのはこのビールのせいということにしました。こんな偽装を行う自分が情けない。 土日は天罰があたって、さらに足が痛くて歩けません。結局、家でテレビを見たり、雑誌や新聞を読んだり、ゴロゴロと無駄に過ごしました。 でも今朝になると、足の痛みはだいぶ軽くなっていました。これなら今週中に水戸街道を完歩でそうです。今週は天気予報を見て、今度は1日で40キロを目指します。すると残りは20キロぐらいですから、土日に日本橋(東京)で到着祝賀会が出来るかも知れません。もちろん祝賀会の費用は私持ちで、参加者は嫌がる家族だけの祝賀会です。娘に花束を買わせ、私の到着にあわせてカミさんが写真を撮り、おばあちゃんが拍手して出迎えるという演出を考えています。 |
| 連休中に約半分を歩く 6日は牛久まで すっかり日焼けしました。 (禁酒日数 0日目 5月7日) |
今日でGW大連休が終わりです。昨日は早朝のTV出演が終わり、送りの車で自宅に帰って朝食を食べ、それからテレビで「明日は雨」という天気予報を聞いて、急に昨日、3日目を歩くことを決めました。ですからまず、先日の土浦までJRで行き、そこからバスで「中貫バス停」に向かいました。中貫に着いて歩き始めたのは10時30分からです。まずカメラの三脚を立てて、セルフタイマーでバス停と私の記念写真を撮りました。さらに腰の万歩計をゼロにリセットしました。
昨日は暑かったですね。気持ちが良いと思ったのは午前中だけで、午後は地面からの照り返しや暑さに苦しみました。中貫バス停から1時間で亀城公園(土浦城址公園)に到着し、そこで10分間の休憩です。この公園でも桜が満開の時に来ると素晴らしいと思いました。でも今回は美しいフジ棚の花を見ることができました。 さらに1時間半ほど歩いて、国道脇でやっと見つけたラーメン屋さんで「冷やし中華」のお昼です。これが”ゴマだれ”でなかなかうまさなので大満足でした。そうえいば2日目もお昼は冷やし中華でした。やはり暑さのせいで、熱いラーメンや暖かい物は体が受け付けないようです。お店で店員の方にここの地名を聞くと、「荒川沖」だそうです。ここまでは食欲もあり、体調も快調でした。 問題発生は食事が終わって、歩き始めた午後1時半頃からです。それからさらに1時間ほど歩くと、急に異常な暑さを感じ始め、向かい風をきつく感じるようになりました。さらに強引に歩いていると、歩くたびに右膝に痛みを感じるようになりました。「これはちょっとヤバイな」と、近くにあったハンバーガーショップのWendy’sに飛び込んで、冷房の効いた店内で、ダイエットコーラーのLサイズで休憩です。イスに座って歩かないと、右膝の痛みは感じません。このお店で15分ほど休んで、再び歩き出しました。でも膝の痛みはなくなりません。しかたないので、3日目はこれまでと思った場所が、「JR ひたち野うしく駅」の近くでした。見ると近代的な駅舎の周囲は建物もまばらで、これから駅前が開発される街という雰囲気が広がっていました。将来、再びこの地を訪れた時のために、駐車場の空き地ばかり広がる駅前の風景を記録しておこうと、風景写真を10カットほど撮りました。 そして”ひたち野うしく駅”で万歩計を見ると、カウントは22615でした。3日目に歩いたのは時間は、休んだ時間を除けば実質4時間にも満たないと思います。歩いた距離で16キロぐらいでしょうか。でも途中で東京まで60キロの看板が見つけましたから、水戸から日本橋までの約半分を歩いたことになります。 意外と歩いた距離が短いので原因を考えましたら、やはり1日に歩く時間が少なすぎると思います。無理をして早く歩いたために足を痛めて、歩く時間を短くするよりも、無理をしないでゆっくり歩き、長時間歩く方が長い距離を歩けると気がつきました。 今度歩けるのは、仕事(原稿)の関係で5月10日以降になります。それにしても江戸時代は水戸街道を2泊3日で歩いたそうです。おそらく夜明けの早朝に宿を出て、日中は無理をしないで長時間歩き、日が暮れた頃に宿に入り、風呂と食事を済ませて早く寝たのではないでしょうか。昔の旅は、宿で深酒はできないでしょうね。ちょっとばかり昔の旅のスタイルが理解できるような気がします。 現代の徒歩旅で最大の障害は舗装された道です。舗装は車で走るのは便利でも、歩くと固い地面で足や膝を痛めます。なんとか最新のハイテク靴で地面からのショックを吸収しても、地面から照り返してくる暑さは防げません。ちょっと国道から脇道にそれて、草の生えた農道を歩く気分は最高です。今度は舗装されていない遊歩道を長く歩いてみたいですね。 今回の旅で最高に美しいと思ったのは、田植え前後の水田の風景です。子供の頃に農村で育ったので懐かしさもあり、今回は水田が心の底から美しいと感じました。 そうそう牛久にはうまい鰻(うなぎ)の店があるそうです。そばに湖の霞ヶ浦がありますから、牛久は鰻が名物だと聞きました。今度は歩き疲れる前の元気な時に、そのうまい鰻を食べたいと考えています。しかしその鰻につられ、お酒を飲むと歩くことはできません。次回、ほとんど歩かないで、鰻だけを食べてほろ酔い気分で牛久からJRで帰って来ないように気をつけます。 |
| 本日は仕事でした 明日、再開できれば いいのですが。 (禁酒日数 0日目 5月5日) |
今日は天気も良く、それほど暑くはなさそうでした。水戸街道を歩くには最適と思いますが、しかし午前と午後に仕事が入りました。ゴールデン・ウィークでも働いている人もいます。ついでに新聞の切り抜きと、米軍再編関連の資料の整理をしました。歩くのはお休みです。
カミさんと娘はお昼からカラオケに行った様です。おばあちゃんも2泊3日のショート・ステイに行ったので、家の中はとても静かです。この機会に週明けが締め切りの原稿を書こうと思っています。3時間ぐらいで書ける文量ですから。 仕事で打ち合わせた方から、「ずいぶん日に焼けていますね」と言われました。そういえば30日(日)と3日(水)は天気が良かったので、かなり日に焼けたようです。 歩いて気がついたのですが、アスファルトやコンクリの道を歩く時は、かなり靴の具合が足に影響します。1日目は、いつも履き慣れたのがいいと思って、かかとのすり減った靴を履きましたが、5時間程度で痛くて歩けなくなりました。2日目は、靴のそこにエアーの入ったクッションの効いた新しい靴を試しましたが、はるかにクッションのあるほうが足の負担は軽くなるようです。おそらく3〜4万円はするウォーキング専門の靴はもっといいのでしょうね。 こんどは土浦近くの中貫から歩き始めます。土浦は街の中心部にとてもきれいな公園がありました。ちょっと楽しみです。 明日、予定では朝のテレビ出演が終わって、いったん自宅に帰り、それから土浦に行くことは可能ですが、もう1本の長い原稿が心配になってきました。まあ急ぐ旅ではないので、仕事優先にするつもりです。とにかく、これから連休明け締め切りの原稿を書きます。 |
| 今日は石岡から土浦 やはり足が痛くて25キロ程度 明日は牛久まで (禁酒日数 0日目 5月3日) |
今日は5月1日にバスに乗った「先後入口」のバス停に向かいました。まず自宅からタクシーで最寄りのJRの駅まで乗りました。そして上野発6時51分発の勝田行きに乗車です。上野駅のホームで朝食の立ち食いのキツネそばを食べました。JR石岡駅には8時15分到着でした。そこから8時40分発のバスで先後入口のバス停まで行きました。バス停到着後、三脚を立て記念写真を撮影して、腰の万歩計をゼロにリセットしました。時間は9時15分です。
それからは失った10キロを取り戻すために石岡に向かって歩き始めました。足は快調なのですが、無理をしないように、焦らず歩調を進めます。9時20分頃、ロードパーク美野里に到着、ここで10分間の休憩です。本当はコーヒーを飲みたかったのですが、ここのお店はまだ開いていませんでした。次ぎに、そしてやっと石岡の繁華街に到着したのが11時40分です。ちょっと早いけど中華料理「バーミヤン」の「冷やし中華(ゴマダレ)」で昼食です。やはりバーミヤンで食事中に靴を脱いで床に足の裏を着けると快感です。 バーミヤンで昼食後、再び、6号線を土浦まで歩き始めました。途中のセブン・イレブンでアイスを買って食べました。セブン・イレブンの店員の方に尋ねると、土浦まであと約10キロとのことでした。再び、黙々と土浦目指して歩き出しました。国道6号線はGWのため、下り方面の車は大渋滞です。 間もなく問題が発生しました。バス停の中貫というところで、国道6号線が左右に二つに分かれます。その意味がわかりません。その理由を聞きたくとも、付近でまわりを見渡してもだれもいません。時間は15時を過ぎています。歩き旅をしている者にとって、この先の道がわからないというほど心細いものはありません。かなり足も痛くなったで、今日はこれまでとバスに乗ることにしました。バス停の中貫から土浦駅に向かいました、そして15時59分発の上野行きに乗り、自宅に帰ることにしました。今日の万歩計は出発点の先後入口からカウントして32182でした。 明日は土浦までJRで向かい、バスで中貫まで行き、そこから東京を目指して歩きます。目標は牛久までですが、それでは不足と感じています。 こんどの土曜日(6日)は早朝からTBSテレビで”みのもんたさん”の「サタディー ずばっと」に出演します。その打ち合わせが明日入りそうです。その他に連休明けまでに原稿を1本頼まれました。連休後半は仕事が忙しくなりそうです。 明日、土浦に行けるかどうか、やや未定です。古文書では江戸時代に、水戸から日本橋(江戸)まで2泊3日で歩いたそうです。日が明ける早朝から夕暮れまで歩けば、なんとか2泊3日でも可能だと思いますが、とても現代人の私にはできません。昔の人は足腰を鍛えていたのですね。そのことが今日の最大の発見です。 ちなみに中貫とは高校野球で有名な土浦一高のすぐそばのバス停でした。途中で元気そうな高校生が一杯乗ってきました。彼らにはGWは関係ないようです。 JRで東京に着いたら、今夜は家族と近くの駅前のレストランで夕食でした。毎年、カミさんはGW連休が仕事(コミケ)なので、いつも外食が我が家の定番になっています。当然ながら私はビールの中生で水戸街道に乾杯です。今日もいい天気でした。これから足の手入れを始めます。 |
| 水戸街道 完歩! その2 苦痛の2日目が終わる しかし、20キロで休止 (禁酒日数 0日目 5月1日) |
正確には昨日の30日(日)の出来事です。昨夜(夕方)は自宅に帰り、今日(5月1日)と明日(2日)は仕事の原稿書きや、打ち合わせがあります。そこで予定通り自宅に帰ってきました。しかしこれが良かったようです。昨日は最悪の一日になりました。
昨日の起床は5時半です。6時には水戸駅近くのホテルを出ました。ホテルから徒歩10分ほどの水戸駅に向かい、駅から千波湖まで歩き、そこからのんびりと徳川記念館に行きました。徳川記念館に到着したのは7時過ぎです。たまたま門の所にいた警備の方が、あきれ顔で”開館は10時だよ”と教えてくれました。とても3時間は待てません。警備の方に旧水戸街道にあたる国道6号線の方向を教えてもらい、その方向に向かって歩き出しました。いよいよ水戸街道・完歩の旅の始まりです。約1時間、何の問題もなく旧水戸街道を歩いているとロイヤルホストがありました。ここでちょっと遅い朝食です。 徒歩旅行なんてこんなものか、これなら楽に今日の予定の石岡まで行けるな。ちょっと飛ばして今日のうちに土浦まで行ってみるか。とトンでもないことを考えていました。ロイホでは30分で朝食を終え、再び歩き出しました。すると広い道路に巨大なビルがある近代的な街が見えてきました。これが茨城県庁の庁舎でした。私が昨日見た水戸市街は県庁のある場所ではなかったのです。このあたりもラジオを聞きながら快調に歩いて通過していきました。 足に変化が起き始めたのが10時半を過ぎた頃です。足の裏が痛いのです。靴下のシワがよって、そこが痛いのかと考え、何度も靴を脱いで見ましたが、べつにシワなどできていません。しかし道ばたの草の上に座り、靴を脱いで足の裏を揉むと痛みが和らぎます。そうやって30分ごとに休んでは足の裏を揉みました。それでも痛みは段々と強くなっていきます。11時頃になると歩行速度は時速3キロぐらいになりました。痛さに耐えながらやっと歩いている状態です。その頃、石岡に16キロという看板がありました。夕方まで石岡に着けるかと心細くなりだしました。 ついに痛みが耐えられなく、幸い、埴輪(はにわ)製作所跡という公園がありました。中に入ると誰もいないので、その広い草原の木陰で背中のバッグを枕に休憩です。足に体重がかからなければ痛さは感じません。約30分ほど、公園の草の上に寝ころんでいました。 でも何とかして石岡までは行きたいと思い、再び立ち上がって再び歩き始めました。数キロは歩いたと思います。道路脇にレストラン「はにわの里」がありました。お腹はすいていませんが、ここで昼食を食べることにしました。そばと天丼を頼んで、靴を脱いで床の石材に靴を脱いだ足の裏を置きました。床の石の冷たい感じが何とも言えません。そばと天丼の食事は、もう食べなければ倒れるという恐怖心で胃に詰め込みました。 食事を食べ終わり、外に出ても足の痛さは直りません。しばらくレストラン外のイスに座っていましたが、とにかく一歩でも前に向かって歩こうと考え、歯を食いしばって出発です。もう速度は時速2キロぐらいに落ちたと思います。本当に一歩一歩が痛さとの戦いです。それでも1時間ぐらいは歩いたつもりです。たまたま国道脇のバス停を見つけ、時刻表を見ると、石岡駅行きのバスは10分後の13時38分です。その次は日曜日の場合、16時台になります。この時刻表でトドメを差されました。とてもあと3時間は歩く力はありません。そのバス停で10分待って、国道を救世主の様にやってきたその定期バスに乗りました。バス停は、「先後」と書かれていました。次ぎはこのバス停から歩き出します。 定期バスの乗客は私一人です。その運転手さんに聞きましたら、水戸から20キロぐらいだそうです。このバスは私の貸し切り状態です。水戸駅から石岡駅まで乗客は私一人でした。運転手さんと世間話をしながら、道路脇に広がる風景などを説明してもらいました。運賃は石岡駅まで600円です。 JR石岡駅では、すぐにやってきた特急の「スーパーひたち」に乗りました。するとスーパーひたちは15分ぐらいで石岡駅から土浦駅に到着しました。こんど歩く時は、石岡の手前10キロ地点(先後バス停)から、土浦まで1日をかけて歩きます。そこを特急は15分ぐらい走るのです。汽車や車のない時代は大変だったのですね。 これで1日目は終わりました。しかし足に激痛が襲ってきたのはこの後です。すでに石岡駅の階段を歩く時、手すりを持たなければ歩けないほどの足の痛さでした。歩速は時速1キロ以下です。それが終点の上野駅に着くとさらに痛さが増していました。東京に帰ってきたという緊張感がなくなったせいかもしれません。上野駅の構内はゆっくりゆっくり歩きました。それでも上野駅からはタクシーを使うことなく、JRとバスを乗り継いで、何とか自宅まで帰ってきました。 自宅に着いて靴下を脱ぐと、右側の靴下は血に染まっていました。それからぬるめの風呂に入っても、それでも足の裏は痛くてお湯に漬けられません。夕食後に足の裏を見ると、直径が6センチもある大きな血豆が出来ていました。我が家の薬箱を見ると、赤チンとガーゼとカット綿がありました。昔、陸自の少工校で習ったように、血豆の手当をすることにしました。カミさんや娘は怖がってやってくれません。 まず、はさみで血豆の一部に穴を空けます。ピューと血が吹き出てきます。そこに赤チンを着けながら中の血を押し出します。さらに赤チンを流します。約30分ぐらいは痛いですが、そのうちに痛さが収まってきまs。もう一度、傷口に赤チンを流し、乾いたら、黒い靴下をはきます。布団のシーツを赤チンで汚さないためです。 確か、少工校の時は縫い針に糸を着け、糸にヨードチンキを漬けて、針と糸で血豆を通すと教わった記憶があります。血豆を覆っている薄い皮は取ってはいけないのです。 その結果、今朝は足の腫れも引き、ほぼ普通通り歩けるようになりました。足の裏は劇的に直りました。天気が良ければ5月3日には徒歩が再開できそうです。 途中で日本橋から歩いてきた(3日目)60才ぐらいの男性に出会いました。かなり徒歩の旅に慣れているようで、初心者の私に注意してくれました。まず元気でも必ず1時間に10分の休憩を取ること。何度も足の屈伸運動を行って筋肉をほぐす。無理をしない。だそうです。 今度は万歩計と地図を持参します。でも昨日は痛かったけど楽しかったですよ。ちょうど田植えの時期で、水を満たした美しい田園風景を満喫しました。車や電車にはない楽しみがあります。 |
| 水戸街道 完歩! その1 水戸街道の起点探しに苦難 約2時間半の捜索でした。 (禁酒日数 0日目 4月29日) |
前々から考えていた水戸街道を歩き通す個人イベントを開始しました。4月29日(土)は午後から降水確率が高いと天気予報で聞き、まずは水戸市(茨城県)まで移動して、水戸の史跡めぐりをすることにしました。午前10時40分、東京駅八重洲口発の高速バスで一路水戸へ。高速バス代は片道2080円でした。安い。12時35分、JR水戸駅南口に途中の渋滞なく到着です。まずは昼食前に、水戸街道の起点を確認することにしました。しかしこれが予想外に難航。まずは水戸駅の観光案内所で「地図で確認」しました。水戸駅から歩いて15分程度の近さです。
しかし現場らしき場所に着くも石碑は発見できず。付近の通行人に尋ねても「わかりません」の一言。そこで大きなガソリンスタンドで従業員の方に聞いても、「わかりません」。向かい側にある消防署で聞いても、「わかりません」。消防署では受付の人が電話で問い合わせたり、他の当直の職員に聞いても、「わかりません」。さらに駅前の大きな交番で聞いても、「わかりません」。しかたなく振り出しに戻って、再び、駅の観光案内所に向かい、今度は観光地図で詳細に確認し、地図に歩くコースト石碑の場所に赤いマークをつけてもらいました。そして再び、駅の南口を出発です。こんども15分後にはそれらしい場所に隣接するハミングロード商店街に到着です。 私は自宅に筆記帳を忘れてきたのでメモ帳を買いに文具店に行き、そのお店で起点の石碑の場所を聞きましたが「わかりません」。隣の肉屋さんが詳しいと聞き、隣の肉屋さんでも聞きましたが、「000建設の隣にそんなものがあったな」。これも結局間違いでした。さらに近くにあった交番に行くと、警官が「あんたテレビに出ている人でしょう」と最初に一発くらいました。事情を話して起点の位置を聞くと、「それらしきものがどこかにあったな」で、2ヶ所の候補地が上がりました。もうこうなると、水戸市教育委員会は市民に愛国心を教える前に、郷土史を教えるべきと思うようになりました。しかし結果的に最後に聞いた交番のひとつが”当たり”でした。地元では備前堀と呼ばれる水路にかかった錆魂橋の脇に、「江戸街道(水戸街道)の起点」(水戸教育委員会)と書かれた石碑がありました。この間、探し回ったのが約2時間半です。そんなにも地元で”水戸街道の起点”は有名ではなかったのです。”超”意外でした。 最後は石碑の前で写真を撮っていると、3人の警察官が乗ったパトカーがやってきて「見つかりましたか」と聞いてくれました。どうやら私の石碑探しはかなりの騒動を起こしたようです。わずか500メートルの範囲内でこの騒ぎです。まるで今回の徒歩旅行の苦難を予感させる出発前の出来事になりました。 それから備前堀の脇を歩き、桜川に出て、千波湖の湖岸を巡り、さらに偕楽園から義烈館などを散策しました。そうしているうちに夕刻となり、街のネオンが輝きだしたので、今朝予約した今夜の宿のホテルに向かいました。 夕食はホテル近くの商店街にあった定食食堂です。定食とは懐かしいですね。頼んだのはカツ丼と冷や奴とビールでした。ビールに枝豆がついていました。お店の人が「サービスです」と新シャガの煮っ転がしを出してくれました。食後はホテルに帰り、風呂に入って、今夜は早寝です。やはり明日の旅立ちは早出に限ります。明日は雨の心配はいらないようです。 |
| 15年目についに体験 救急救命を実践 講習3回は無駄にならず (禁酒日数 0日 4月25日) |
ついに今まで3回の講習を受けていた「救急救命法」が役に立ちました。昨日、スポーツクラブで2時間のキツイ目の運動を終え、館内のお風呂に入って体を洗っている時でした。突然、背後で「ドスン」という大きな音がしました。思わず振り返ると、65才ぐらいの方が真後ろで天井を向いて倒れていました。明らかに体を洗っている時に意識を失って後ろに倒れたのです。
実は私は東京ヨットクラブの安全講習会で、15年間に3回も救急救命法の講習(1回は3時間程度)を受けています。しかし今まで一度も実践する機会はありませんでした。しかし今回はお風呂で私以外に救急救命を行う人はいないようです。そこで私は毅然と立ち上がりました。当然ながら裸です。 まず意識を確認しました。「大丈夫ですか。どうしました。返事ができますか?」と大きな声で問いかけても返事がありません。目を見ても半眼で焦点があっていません。私は「意識無し」と言葉に出して、「だれかスタッフを呼んできてください」と風呂に入っている他の人に頼みました。ゆっくりと後頭部に触りましたが、出血や傷はありませんでした。 次ぎに呼吸を確認しました。手のひらを口に近づけると息を感じました。「呼吸あり」です。 手の先で喉に触れ、脈泊を感じました。「心臓は作動している。鼓動確認」 嘔吐物があるかと口の中を見ましたが、口の中はきれいでした。それでホッとして必要な気道の確保を忘れました。 約1〜2分ほどして、その倒れた人が自然と意識を戻しました。同時にスポーツクラブのスタッフが駆けつけてきました。「私は倒れていましたか?」と意識を戻した方が聞きます。「はい、ちょっと意識を失っておられました。気分はどうですか。吐きたいと思いませんか」と聞くと、返事がなく不思議そうな表情をしてました。「動かない方がいいです。このまま寝ていましょう」といって、スタッフが持ってきたバスタオルを倒れた人に何枚もかけ、救急車の手配を頼みました。 するとスタッフの一人が、「脈拍が計れますか?」と聞くので、「どなたかお風呂の時計で10秒間を教えてください」というと、一人が「わかりました。用意ーツ 1,2,3,・・・・10」とカウントします。私は喉に手先をあて脈を数えます。「12です。心拍は72です」とかっこよく答えます。 するとスタッフの一人が「お医者さんですか」と私に聞きますので、「いえ、私はヨットマンで救急救命法の講習会を3回も受けているのです」と答えました。その頃になるスタッフも大勢集まり、担架も運ばれてきていました。間もなく消防署から救急隊員も到着しました。私はその場を離れて、湯船につかって救助の様子を見ていました。するとさっきのスタッフが、私に「あの、ウルトラマンさんでしたか」と名前を聞きます。私は真面目な顔をして、「いえウルトラマンではなく、ヨットマンです」。すると「お名前はヨットマンさんですか」と言います。「名前はカ・ミ・ウ・ラです。ヨットマンのヨットはお船のヨットです」「そうですか」。あとで思い出せば、まるで漫才のやりとりです。 最後に救急隊員の担架で運ばれる時、その方は脱衣所で私の顔を見て「ありがとう」と言ったのでたいした事はないと感じました。でも担架に乗るために座った状態になると、吐いていたのでちょっと気になります。脳梗塞でなければいいのですか。 でも、よい経験でした。それから服を着てスポーツクラブから自宅にバイクで帰る時、すごく嬉しい気持ちがわいてきました。何というか、これからいいことがいっぱい起きるようなワクワクする予感です。 夕食はカミさんと娘は恵比寿(渋谷区)のライブに行き、おばあちゃんはショート・スティ(老人介護施設)に行ったので、私は一人で森下(町)の居酒屋”山利喜”のカウンターで飲みました。今夜はカミさん公認です。一人でビールを飲みながら、先ほどのスポーツクラブでのことを思い出しながら、「ウルトラマン」と間違えられたら怖いなと思い出し笑ってしまいました。 救急救命がこんなにも楽しいと思いませんでした。皆さんも機会があれば、救急救命法の講習会を受けることをお勧めします。必ず役に立つと思います。地元の消防署に問い合わせると講習日を教えてくれると思います。それにしても人間が意識を失って倒れる時は、驚くほど大きな音がするもんですね。びっくりしました。 |
| 私のPTA活動は終わり 昨夜、引き継ぎ会 これで主夫は終了です (禁酒日数 0日 4月21日) |
昨夜、20日の午後7時から、娘が通っていた中学校でPTAの引き継ぎ会がありました。私は3年生の学年委員長と卒業対策委員長でした。別に自分から好きで立候補したわけではありませんが、誰も引き受け手がなく、やむにやまれぬ大和心でなってしまいました。PTAの98パーセントは母親ですから、父親(男)だとどうしても00長をやらされます。カミさんは、「また大変ことを請け負って!」と怒りますが、その場の雰囲気でどうしても断れなくなるのです。困難に向かい合った時、絶対に逃げないというのが私流の生き方でしたから。
でもそれも昨夜で終わりです。これまでの毎日の夕食作りも、昨年9月にカミさんのお母さんと同居を始めた機会に解放されました。義母が私の料理がまずい(味付けと素材)と食べてくれません。そこで夕食はカミさんが作ることになりました。これで私はPTA活動や家事から解放されたのです。 昨夜は中学校から家に帰り、家族全員が寝ているので一人書斎でバーボンを飲みました。もう水も氷もなしです。小さなウイスキーグラスにバーボンを注ぎ、ゆっくりと少しずつ喉に流し込みました。 昼間、スポーツクラブで2時間ほどハードな運動をし、暑いサウナに入ってきたので、1時間もしないうちに服を着たまま、テレビもつけて眠ってしまいました。起きたのは今朝の6時です。でも目覚めスッキリです。 そこで思い出したのが、先日、引退を宣言した新庄選手のことです。ボロボロになる前に引退する。まだ余力があるうちに次の仕事を考える。そんな新庄選手に対する言葉が思い出されたのです。幸い、私のホームページは多くの人に見て頂いています。今でも私が予測する以上に大きな反響があると思っています。しかしこのままホームページの更新だけを続けていては先細りは目に見えています。 私の将来のことをを考えて、仕事やホームページの運用も、根本的に見直す時期が来たと思います。今ではテレビ局や新聞社や出版社は未知の世界になりました。昔、一緒に仕事をした人たちは、定年で会社を退社したり、偉くなって現場と関係ない管理職になっています。まさに今のマスコミは私にとって未知の世界なのです。 新庄選手が野球から新しい世界を目指すように、私も今の世界から新人として新たな広い世界を目指します。私の過度の飲酒もその辺に原因があったかもしれません。私は根本的に軍事の現場が好きなんです。好きな世界にいればお酒はいりません。 赤坂から市ヶ谷に新しい防衛庁が移転して、講演会に呼ばれて市ヶ谷駐屯地に入ったことはありますが、新しい市ヶ谷の防衛庁内局、陸海空自衛隊、それに前の統幕の広報室には顔を出したことがありません。これも私にとってはもう未知の世界です。私は初めて陸幕の広報室に行ったのは、防大1期の源川さん(元東方総監)が陸幕・広報室長(1佐)になった時です。あのころはよく口論したり、嫌みな冗談を言いあっていましたが、結構楽しかったですよ。例えば、「自衛隊とケンカする取材の時は広報にはきませんから。勝手にやります。今日はケンカしない取材で来ましたから安心して下さい」なんてことを広報室で平気で言あっていました。 私がこれからも軍事の世界から離れることはありません。しかし活動する場所は少し違ってくるかも知れません。先日、久しぶりにデジカメ・1眼レフで気に入った写真が撮れました。今日は天気がいいので午後から夕方にかけカメラと重い三脚を担いで、江東区の東京ヘリポートにバイクでいくつもりです。300ミリのレンズに2倍のテレモアをつけ、ヘリポートを離発着するヘリの写真を撮ってきます。デジカメなので暗室や現像液の心配はいりません。夜は自宅近くの温水プールで1時間ほど泳ぎます。今夜はお酒はいらないようです。たぶん。 |
| お花見で初体験 初めての”威嚇”を体験 原始的な手段に歴史を感じた (禁酒日数 0日 4月10日) |
隅田川に浮かべたボートでお花見をしました。昨日は天気も快晴の最高で、風もなく隅田川は穏やかでした。そこにご馳走をいっぱい詰めたお重を広げ、川面に散る桜を眺めてのお花見でした。そこで私は貴重な初体験の威嚇を受けました。
それは10メートルほど離れた川岸で、頭髪を鮮やかな金髪に染めた酔っぱらい(中年男性)がボートに向かって怒鳴りつけています。「邪魔だから向こうに行け」とか「うるさいから向こうに行け」と怒鳴っている様です。しかし川岸とボートは10メートル離れています。いくら怒鳴っても言葉の意味もわからないくらい距離が離れています。だからこの酔っぱらいを無視をしてお花見を続けていました。するとこの酔っぱらいが自分の腹の前で、目立つことなく何度もマッチを擦っては川に捨てるのです。誰もが何をしているのだろうと考えました。そこで私が気がついたのは、「多分、放火するぞと脅しているのでは。原始的な威嚇の一種だと思う」という言うと、皆さんが納得しました。怒鳴って威嚇する行為と、石を投げて威嚇する行為の間に、マッチを擦って「放火するぞ」という威嚇の方法があったのです。私は初めての”放火威嚇”に人間の戦い(政治)の歴史を感じたような気持ちになりました。 こうなると私も何か威嚇して答えないと失礼にあたります。そこでポケットから携帯電話を取り出し、大声でいかにも地元の警察に電話するフリ(威嚇)をしました。この威嚇勝負は私が勝ったようです。その鮮やかな金髪の酔っぱらいはすぐに姿を消しました。 戦国時代、鉄砲(火薬)が伝わる前の城は山頂の山城でした。あの時代、秋や冬などの枯れ草の季節に、山裾から放火される脅威を感じなかったのでしょうか。あるいは山シバを集めて山頂のお城近くに積み上げ、強い風向きを見て放火すれば、お城に火が移ることはなかったのか。そんなことを考える機会になりました。 今の法律では、目のまでマッチを擦っても、脅迫罪にはならないでしょうね。でも火事(放火)はこわいですよね。 イランは新兵器開発が成功したとアメリカを威嚇する。アメリカはイランを軍事攻撃すると威嚇する。互いにそんな余裕がないことは誰も知っています。人間の知恵なんて、そんなに進化していませんね。昨日はよい体験をしました。 |
| 昨日は娘の入学式 娘、曰く 「でも絶対に学校に来ないで!」 カミさん、曰く 「もう、いい加減に子離れしたら」 (禁酒日数 0日目 4月8日) |
昨日は娘の高校の入学式でした。すでに高校のホームページ(携帯)を通じて、今年入学する新入生と連絡をとって、春休みに原宿あたりに遊びに行っていました。親として非常に心配で、もし悪い人と知り合いになると恐いなと考えてしまいます。
そして昨日は入学式でした。私としては学校の施設を見たいし、担任の先生に挨拶をしたいと考えていました。でも、娘とカミさんが、入学式に父親は行くべきでないといいました。そんなもんなのでしょうか。私が陸自の少工校に入学した時は、父親が入校に反対して私一人で広島から横須賀に向かいました。中学の修学旅行で行った京都を過ぎると、そこからは先は私にとって初めての地でした。その夜、夜行急行で非常に心細くなったことを覚えています。ですから夜明けに車窓から富士山を見た時は感激しました。 娘は入学式が終わり、ホームルームのあとに、級友たちとファミレスで食事をしたそうです。まったく信じられないことです。入学式で初めて知り合った級友たちと、ファミレスで食事をするなって考えられません。4時をすぎても帰って来ないのでイライラしていたら、カミさんが「もう、いい加減に子離れしたら」です。この一言でスポーツクラブに行く予定が、近くの焼鳥屋さんに変更になりました。これで3日間続いた禁酒日数が0になりました。 女の子の父親というのは本当に大変です。それから帰宅して、暫くすると、普天間基地移設合意のニュース速報が流れました。それから電話で一騒動です。午前中は新しいパスポートを取りに有楽町に行ったり、午後は娘の部屋に高校に入ったらテレビを入れるという約束のため、テレビのアンテナ線の工事を行いました。なんとも忙しい一日でした。 明日は友人のモーターボートで隅田川に出かけ、少し遅いお花見です。今日だけは休肝日ということにして、これからスポーツクラブに行きます。 |
| もう3月も終わり 卒業式のあとの謝恩会 痛飲しました (禁酒日 0日目 3月29日) |
娘の中学の卒業式が17日に終わりました。仕事が忙しいカミさんは出席しないので、私一人が卒業式に出かけました。確か3年前の中学入学式は、米軍が3月20日にイラク攻撃を始めたばかりで、テレビ局の合間に出席したことを思い出しました。その時、3年生を見ると大人のように感じました。我が子は慣れない初めてのセーラー服で、男の子達もダブダブの学生服を着ていたのを思いだしました。それが3年後の卒業式では、見事に成長して誰も光輝いていました。感動して、つい、涙が浮かんできました。
卒業式が終わると、こんどは会場をホテルの宴会場に移して、先生、地域の町会長、保護者の卒業謝恩会です。私はその謝恩会の責任者になっていました。1年間とはいいませんが、学校への記念品や、生徒への卒業プレゼント、それに謝恩会の調整など、それなりに大変でした。何度もお母さんたちに怒られました。ミィーテングの事前の調整が出来ていない、役員の連絡がうまく取れていないなどです。謝恩会の時はそんなことを思い出してワインを飲んでいました。 2次会はホテル最上階のラウンジ(バー)を借りて3年生の担任の先生や保護者の方と、大きなテーブルを囲んでバーボンのダブルのロックです。会費制の飲み放題なのに、参加した母親が飲まないのです。それはもったいないと私がバーボンを頑張ったわけです。3杯はお代わりしたのを覚えています。 その次がホテル近くのカラオケです。カラオケに行ったのは10年ぶりのような気がします。オウムサリン事件で愛川欣也さんのTV番組でレギラーになり、その番組の打ち上げで行った記憶があります。そのカラオケに行った男性は2人で、一人は私で、もう一人は娘一人と父親だけの家庭で頑張った方です。どうやらその方と一緒に歌い、共に泣き出したそうです。残念ながらバーボンのせいで記憶がありません。気がついたのは、帰りのタクシーに乗る時で、周りを見渡したら誰もいませんでした。後で聞いた話しでは、私だけが逆の方向に歩いて行ったので、一人で別の店に飲みに行くと思ったそうです。もちろん家に帰ればフラフラで、翌日、背広の胸ポケットに入れていたメガネが悲惨な形状になっていました。どうやら脱いだ背広を踏んだ時に、メガネの上に足がいったようです。 翌日は二日酔いかと思いましたが、飲む前に胃薬と肝臓の薬を飲んでいたので、二日酔いにならないで済みました。でも翌日の夕方まで、何も食べたいと思いませんでした。おそらく一生の記憶に残るような痛飲日だったと思います。 まあ、娘の目出度い中学生の卒業式ですから、今回の痛飲だけは許してください。次は娘の結婚式でカミさんと苦い酒を飲む覚悟をしています。そうそう私がカラオケで歌った(ソロ)のは、「酒と涙と男と女」だったような気がします。 というわけで、良心の呵責に耐えられなくて禁酒日記を書くことが出来ませんでしたが、そろそろ4月のお花見頃というわけで、再び節酒の意志を高めるために禁酒日記の書き込みを再開します。皆さんもお花見で飲み過ぎないように。 今日、期限が切れたパスポートの申請に行き、帰りにバイクで、皇居や最高裁や靖国神社の桜を見てきました。お天気がいいせいか、多くの人が桜見物に来ていました。きれいな桜でした。あの見事な桜を見ると、日本に生まれて良かったと思います。 |
| 単純に汗をかけばいいのか そこで水戸街道を歩く! なにか面白そうです。 (禁酒日 1日目 3月8日) |
先週の4日(土)、スポーツクラブで運動をやりすぎたようです。ちょうどフジテレビでモッロコに行った写真学校の女子学生をテーマにドキュメントをやっていました。それを見ながら、クラブのウォークマシンを使っていました。普段は40分〜50分程度ですが、その時はそのテレビ番組が終わるまでやったため、約倍の1時間半ぐらいしまいました。サハラ砂漠の風景や雄大な山の映像が感動ものでした。むろんシャツは運動の汗でビッショリです。それから筋肉トレーニングをやり、さらに30分間の自転車です。
その日に汗は大量にかきましたが、翌日はちょっと足の筋肉が痛くなりました。肉離れを起こしてはまずいので、昨日までの3日間は運動を休みました。そこで考えたのですが、ただ機械の上を歩いていても仕方ないので、どこかの街道を歩いてみようと思ったのです。最初は無理をしないでと思いながら調べると、水戸街道が比較的短いとわかりました。 東京駅から高速バスで水戸まで2時間程度ですから、何日かかければ歩けない距離ではありません。1回で歩き通すのは無理でも、土日の週末を使って歩こうかと考えています。これから季節もよくなります。 そこでいろいろ考えましたが、出発は水戸にします。東京の日本橋は終点です。途中で日が暮れれば、近くの駅から電車で自宅に帰ります。そして翌日(週)は電車で昨日の駅に行き、再び江戸を目指して歩きます。ちょっと面白そうです。 でも、その間は禁酒するという宣言が出てきません。私の心の中で「禁酒すると良い」という気持ちと、「歩いたあとのお酒はうまいだろう」という気持ちが戦っています。このカミウラ版「街道を歩く」はもう少し演出が必要のようです。その演出次第では、水戸街道を禁酒して歩く可能性もあると思います。 |
| 更新は午後にします。 スポーツクラブで気分転換 What Newから転載 (禁酒日 0日目 3月2日) |
今朝はラジオの生放送などで午前4時に起きて資料の準備をしました。かなり緊張して仕事をしたので疲れています。今、午前9時40分です。気分転換にこれからスポーツクラブに行き、10時から2時間ほど運動で汗を流して、そのあとクラブのサウナに入ってきます。
※ スポーツクラブで汗を流してきました。しかし昼食前の空腹時でしたから、軽めの運動メニューにしておきました。その後、近くのファミレスでランチを食べ、食後にゆっくりコーヒーです。実にいい気分です。以前なら、今回のような場合は、典型的な「朝からお酒+お昼寝」コースでした。そして夕方は罪悪感でいっぱいになりました。だから今回の展開は正解でした。それにしても、平日の午前中でもスポーツクラブには多くの人が運動に来ていました。その半分くらいは定年後の方ですが、夜勤明けの警察官や消防官の人もいました。また家事の合間の主婦という方もいるそうです。お風呂にも入れて月1万円の会費は安いと思います。特に飲み助の人には絶対にお勧めです。 (神浦・・・・これは3月2日のWhat Newに書いたものですが、やはりこちらのコーナーに転載した方が居こごちが良さそうなで移しました。とりあえず) |
| 許酒日も終わり 今日から再び禁酒です。 昨日は空港で飲みました。 (禁酒日 0日目 2月27日) |
娘の高校入試も終わりました。今はその結果待ちですが、もう学校はどこでもいいと考えるようになりました。娘がどのように高校生活を過ごすか、そのほうがもっと大事だと考えるようになりました。ところで先週末は、郷里の広島に帰ってきました。母の見舞いのためですが、最近は母の笑顔が増えて安心しました。
そして東京に帰るために、午前11時頃に広島空港に行くと、飛行機の出発までに2時間あります。となれば当然ながらレストランで生ビールとなります。一人で空港ビル3階にあるレストランに入り、枝豆と鯛のあら煮を頼み、生ビール(中)を飲みました。1杯目は一気に飲んで、2杯目は外の景色や、隣に座っている韓国にヨン様観光で行くおばさん集団の会話を聞いて楽しんでいました。(大声ですから聞こえました)。問題は生ビールの3杯目です。やはり禁酒を宣言している身ですから、3杯目は慎むべき量だという自覚と、明日からまた禁酒をすればいいという悪魔のささやきが聞こえました。結局、悪魔のささやきに負けて、3杯目を注文してしまいました。ちょっと我ながら羞恥心を感じましたので、3杯目は1,2杯目を頼んだ人とは別のウエーターにお願いしました。 そして会計をするためにレジに行くと、そのレストランのマネージャーらしき人から、「お仕事ですか」と聞かれました。驚きました。4日間ヒゲは剃っていないし、ヨレヨレの服を着て、帽子をかぶっています。私が「わかりますか」と聞くと、「わかります」です。「実は広島が実家で、・・・・」といいますと、「知っています」といわれました。「母の見舞いで帰ってきました」と答えましたが、心の中では悪事の現場を見られたようでドキドキです。まさか、「禁酒日記を読んでいますか」と聞くわけもいかないけど、もし聞いて、「はい、読んでいます」といわれたら、もう人生最大の恥をかいたことになりますね。 というわけで、今日から新たな気持ちで、再び禁酒が出来そうな気分になってきました。今日は娘の期末試験で給食が休みです。これから近くで評判のコロッケ屋さんにお昼のおかずを買いに行きます。夕方からスポーツクラブに行って、いっぱい汗をかいてきます。 |
| いよいよ明日です 緊急事態に備えて実動訓練 バイクでテスト走行 (許酒日まで1日 2月22日) |
いよいよ明日は都立高校の入試日です。天気予報では明日は晴れのようです。しかし地下鉄や電車の事故に備え、万一、交通機関が停まってもバイクで送り届けらるように、自宅から高校までの道をバイクでテスト走行するするつもりです。(カミさんはバカみたいだからやめろといいます)。
娘に今夜は何が食べたいかを聞いたら、いろいろ考えた上で、「オムライス」に決まりました。明日のお弁当は、海苔弁にトンカツだそうです。それにお茶のペットボトルです。娘の腕時計の電池は交換しました。娘やカミさんには言いませんが、緊張してお腹が痛くなることを想定して、神経性胃炎の薬も買っています。お守りも正月に「受験合格」のを買って渡してあります。 今日は何も気にしていないようなフリをして早く寝るつもりです。夕方、明日の緊急事態に備えてコンビニでおにぎりを買ってきます。もちろんカミさんや娘に内緒です。 |
| 中国脅威論に身震い お酒どころではない やはりストレスが大敵 (許酒日まで2日 2月21日) |
今週は書斎の再配置に取り組んでいます。これから中国軍の軍事調査(分析)に本格的に取り組むためです。というのは、最近のメディアに登場する中国軍情報ですが、あまりにバラバラでいい加減の度を超していると思ったからです。ちょうど15年前のぐらいの北朝鮮報道と非常に似ています。今にも日本や韓国に北朝鮮が攻めて来るような軍事的な脅威論が溢れていました。
そのような北朝鮮関連の記事や番組を見て、密かに北朝鮮問題と取り組む決意をした思い出があります。最近の中国報道で同じような気持ちになっています。もう中国語を勉強する時間はありませんが、中国をやるからには北朝鮮と比較にならないほど、軍事ばかりか、歴史や政治や経済の勉強が必要と思います。莫大な時間や費用もかかるでしょう。果たして自分に出来るかという気持ちと、絶対に取り組まなくてはいけないという気持ちが半々です。 家族にはまた貧乏のタネを抱え込ませることになりそうです。そんなことを考えると、ついついストレスで心がイライラして、夕方になるとお酒に手が伸びそうです。 昨日は、夕方4時にスポーツクラブに行く準備をして、雨が小やみになるのを待ちながら、本箱にあった「自衛隊 知られざる変容」(朝日新聞社刊)を読み始め、そのまま夜の8時まで読み続けました。スポーツクラブは休みました。この本は昨年5月に購入したときに、すでに読んでいましたが、米軍再編問題や中国脅威論の新たな展開を経て、改めて読み直すとこの1年間の変化がよくわかりました。 15年後、20年後には、日本や東アジアはどのような世界になっているのでしょうか。それこそ「お酒どころではない」かもしれません。 |
| 昨日、最悪な日になった 朝から飲酒で自滅 自分のダメさに嫌悪 (許酒日まで8日 2月15日) |
月曜日の健康診断は無事終了しました。(結果はまだ)。そのあと友人(同級生)のカメラマンのスタジオ(秋葉原)に行き、正面半身の写真を撮ってもらいました。(所長ごあいさつの写真を更新しました)。そのあと、このカメラマンといっしょに近くの居酒屋に行き、痛飲です。半年に1回の健康診断が終わったという開放感と、同級生との昔話にお酒がすすみました。夕方5時から飲み始めて、家に帰ったのが8時半です。 それからカミさんとビールを飲んで睡眠です。しかし問題は翌日(昨日)です。朝、目が覚めると明らかにお酒が体内に残っていました。いわゆる酒臭いという状態です。そこで朝食を抜き、もう少し寝ることにしました。次に目が覚めたのは、家族がだれも家にいなくなった9時半頃です。パジャマを着たままリビングで新聞を読んでいると、何となくビールを飲みたくなりました。昼間にお酒を飲むのはお正月以来していません。本当です。仕事は夜にFAXで送られてくる原稿を校正するだけですから、まあ、お酒を飲んでも仕事に差し支えないと考えました。酔ったついでという訳です。そしてビールが焼酎のお湯割りになり、1杯が2杯となり、「どうせ今日が最後だ」と自分に言い聞かせつつ飲みました。 そして一眠しようとした午後1時5分です。そこに自宅の電話が鳴り、受話器から「今日の午後1時ですよね。喫茶店で待っています」と雑誌社の記者の一言。「ワー、しまった。ごめん。すぐに行きます」と叫んでいました。昨日、友人の写真スタジオにいたとき、その雑誌社の記者から電話があり、明日の午後1時に近くの喫茶店で会う約束をしていたのです。すっかり忘れていました。しかたなく酒臭い息で喫茶店に行きました。「申し訳ありません。きょうはノーギャラで結構です」と平謝りです。こんなことは10年に1度もないことです。それもお酒を飲んでいたとは、どう謝っても言い訳になりません。まさに赤面ものでした。 しかし今朝はいつものように気分良く寝覚めました。お酒もすっかり体から抜けました。そして下段の日記を読んで、なんてバカバカしいことを書いたのかと恥ずかしくなりました。まだまだ酒飲み根性は直っていないようです。私の禁酒に期待した方をがっかりさせてすいません。 |
| 元々いい子ぶるのが嫌 飲酒をしたら罰が当たった 2日間で元の木阿弥 (許酒日まで12日 2月11日) |
順調に禁酒の日数を積み重ねていたら、自分がこんなに簡単に禁酒していいのかと疑問に思うようになった。俺って元々子供の頃からそんな優等生でいい子じゃなかった。むしろいい子や優等生に反発を感じるようなタイプだった。このまま禁酒に成功したら、すごくいい人間になってしまうような不安な気がしてきた。 そこで9日(木)の夕食の時、自分の真面目ぶりに反発したくて、ビールを1本と焼酎のお湯割りを3杯飲んでしまった。焼酎は許酒日に備えて先日買っておいたものです。 予想通り、翌朝(10日)は罪悪感の残る目覚めだが、今日が締め切りの原稿がある上に、スポーツクラブは定休日でした。そして夕方までに原稿を書き上げ、散歩に出たご近所で居酒屋に入る気でいた。しかし目的の居酒屋には満員で入れなかった。しかたなく家に帰ると、PTAの会計報告が出ていないと催促の電話。すぐに学校や役員の家をバタバタとバイクで走り回って午後9時に1件落着。そのまま飲酒2日目モードに突入。焼酎のお湯割りを3杯飲みました。 今日(11日)は午前中にカミさんと映画「単騎、千里を走る」を見て、昼食に娘を呼んで駅前のレストランでハンバーグ・ランチです。午後は歩くのをやめてスポーツクラブに直行した。なぜか自分に強いストレスを感じていた。これはお酒を飲むからストレスが強くなったのだろうか。運動前に定期的に計っている血圧や心拍数と体重の全てで、わずかだが数値が増えていた。そこで今日はきつめのメニューに挑戦した。約2時間の運動のあとで、スポーツクラブのサウナにも入り、大量の汗を絞り出しました。これでスポーツクラブを帰るときは、血圧、心拍数、体重ともに、3日前の数値に戻りました。やれやれです。 今日もスポーツクラブに行かないで、もし夕方から飲酒していれば、確実に元の木阿弥になったと思います。私の場合は飲酒がストレスを解消していたのではなく、飲酒がストレスを呼び起こしていたことを実感しました。私の場合の飲酒は、カミさんのように楽しいお酒ではなく、気持ちを落ち着かせるための飲酒で、酔えさえすればいいというものです。やはり精神面で飲酒に向いていないのかもしれません。 明日は日曜ですが、急ぐ仕事もないので、一日運動をして過ごすつもりです。家族もそれぞれのスケジュールがあるようです。今夜はこれから「軍事研究」誌の3月号を読みます。ほぼ読み終わっていますが、まだ読んでいない記事が残っています。むろん今夜は禁酒です。熱々のコーヒーを入れてきます。それでは皆さんお休みなさい。(PM9時) |
| 深夜の仕事終了 帰宅して気分転換の・・・・ 不思議と平気でした (許酒日まで14日 2月9日) |
2日前の7日、これからスポーツクラブに行こうとしていた夕方5時半頃でした。電話がかかってきて、「今夜、岩国市の住民投票をテーマで番組をやるから、局に来てくれませんか」とTBSラジオ「アクセス」の00さん。7日のWhat Newに書いた住民投票をテーマに選んだそうです。
ラジオ番組は午後10時から12時までの生放送の2時間。全国の聴者も電話で参加する激論トーク番組です。ゲストの局入りは午後10時半でいいとのことでした。 そこで6時から8時まではスポーツクラブで軽めの運動を行い、8時半から自宅に帰って夕食を食べ、9時から9時半までは書斎で参考資料を作りました。それから背広に着替えて、9時50分には自宅を出ました。タクシーで赤坂のTBSに着いたのは10時20分です。10時40分からスタジオに入って生放送開始です。 ・・・・・と続いて、仕事が終わったのは12時を過ぎていました。今までは、このように深夜に終わる仕事の後は、自宅に帰って一人で飲むビールが最高でした。聞けば、帰りのタクシーの運転手さん(43才)は大の酒好きで、明け番の日は10時間ぐらいかけてお酒を飲んでいるとか。焼酎のうまい飲み方などを話し合って、意気投合しました。 しかし、私は自宅に帰ってから、一人でパジャマに着替え、すぐに布団に入って眠りました。一切冷蔵庫に近づきませんでした。また断酒の禁断症状のイライラに耐えるということもありません。これは私にとって不思議なことなのです。今までは深夜の生放送の緊張感を抜くには、寝る前にお酒の力が必要と思っていました。 翌朝は少し遅めの6時にすっきりと目が覚めました。なにが成功の原因だったかと言えば、やはりスポーツクラブのきつめの運動がよかったのだと思います。スポーツクラブの運動でストレスが解消したのと、疲労感があったことが、お酒の力に頼ることなく睡眠できたと自覚しました。 昨夜も禁酒しました。横でカミさんがビールをうまそうに飲んでも平気です。今まで何であれほど禁酒できなかったのかと不思議になります。 こんどの土曜日は朝一番に、カミさんと「単騎、千里を走る」の映画を見に行きます。お昼ご飯の後、一人で電車に乗り、20キロ程度離れた駅で降りて、そこから自宅まで歩いて帰る計画を立てています。いよいよ13日(月)に定期健康診断を受けます。その日までに体重80キロを切りたいのです。昨日の体重は、風呂上がりで80,8キロでした。あと800グラムの減量です。土曜日に20キロを歩けば、1〜2キロは減量すると思うのですが。 |
| ついに誓いを破る すき焼きに釣られて一杯 カミさん、娘の許可下る (許酒日まで17日 2月6日) |
下段のレポートを書いたあと。油断した私の心に響くように、「今夜はすき焼きだから、ワインなら許してあげる。MDを買ってくれと言わない」という娘の言葉。「まあ、ビール1本ぐらいならいいのじゃないの」とカミさん。そこにすき焼きの強烈ないい香りです。あっという間に、とうとう禁酒の誓いを破ってしまいました。こんなにも簡単に禁酒宣言を破るとは思いませんでした。しかし、言い訳ではありませんが、本当に缶ビール1本とワイングラス3杯で止まりました。
しかし翌朝はちょっと罪悪感が残っていました。そこで午前10時にオープンのスポーツクラブに行き、午後1時半までたっぷり汗を流しました。そして昨夜は再び禁酒を貫徹しました。 昨日、午後3時頃から秋葉原に行きましたが、そこで初めて路上でチラシを配っている生の「萌え」系の女性を見ました。でも秋葉原にメイドさん風は違和感を感じました。私は秋葉原に30年以上通っていますが、あのメイドさん風のスタイルは秋葉原に定着しませんね。寒風の路上で、ミニスカートは可哀想な気がしました。路上や駅前広場でライブをやっている人もいました。みんな頑張っているのですね。 秋葉原で2480円のオーディオ・スピーカーを買ってきました。高いと思っていた液晶テレビが安くなっているで驚きました。娘の高校入試が終われば、家中のオーディオやTVの組み合わせを変更するつもりです。そのための情報収集を兼ねての秋葉原偵察でした。 |
| やはりスポーツの成果 数度の危機を脱した! ちょっと自信ができました (許酒日まで19日 2月4日) |
昨日はスポーツクラブが定休日でした。午後の4時過ぎまで仕事をして、4時半からホテルのコーヒーショップで新聞社の取材を受けました。いつものことですが、新聞社や雑誌社の取材は緊張します。ポイントを外さないように話さないと、出来た記事が荒くなっているからです。でも事前に記事を見せてくれとはいいません。その記者を信頼して取材を受けるしか方法がないのです。
約1時間ほど話しをして、ホテルを出ましたが、なかなか取材の緊張が解けません。以前ならば、そこで近くの居酒屋で一杯となるわけです。しかし昨日は違いました。なにしろ禁酒をしていますから。ホテルには水着とタオルを持参しました。そして取材が終わると、バイクに乗って近くの区営プールに直行です。そして5時半から7時まで泳ぎました。泳ぎ終わると、取材の緊張は消えていました。これで完全にストレス解消です。やはりストレスを溜めやすい人は運動が必要です。以前の私のようにストレスを飲酒で解消してはダメなのです。 4日(土)、5日(日)の2日間で、体重を1キロほど減らす覚悟です。1昨日、体重を量ると1キロほど増えていました。運動を始めてから食事が進みます。美味しいのです。今まではお酒の合間に、おかずを一口ずつを食べていました。しかし禁酒をしてから、二つ以上のおかずを口に入れて噛み混ぜます。すると久しぶりに美味しい味が戻ってきました。ですから太ったと思います。 私の食事は粗食がいいでね。特に私のように一日中、机についているような仕事だと美食は大敵です。私は通勤すらないのですからね。 とにかく今のところ、まだ禁酒が続いています。それに禁断症も起きていません。やはりスポーツと禁酒を併用した作戦が合ったようです。許酒日まで20日間を切りました。 |
| 意外と快調です 苦労なく断酒しています こんなに楽だった? (許酒日まで22日 2月1日) |
1月28日から4日間です。私が4日間もお酒を飲まないのは画期的です。それも意外と苦痛なく断酒しています。はやり子供のおかげでしょうか。あれほど苦痛だった禁酒ストレスが起きないのです。体の変化といえば、寝付きが悪くなったぐらいです。毎朝は5時過ぎに起きますから、夜は10時を過ぎた頃には布団に入ります。しばらくはTVのニュースを見ますが、でもなかなか寝付けません。それならと難しい本を読んでも眠気がこないのです。ますます頭が冴えてどんどんページが進んでいきます。
スポーツクラブで有酸素運動をやっているので、脳に酸素が行き渡っているからでしょうか。そこで昨夜は週刊誌を読むことにしました。難しい専門誌よりも、気楽な週刊誌というわけです。すると心がリラックスしたせいか、すぐに眠ることができました。でも私が寝付けないなんて、本当に何十年ぶりのことでした。ちょっと懐かしかったですよ。 それから昨日は、久しぶりにスーパーに買い物に行きました。スポーツドリンクをまとめ買いするためです。そこで店内のお酒コーナーに迷い込みました。そこはまるで花園でした。なんとも言えないような楽しい気持ちがわいてきました。だから棚のお酒をジロジロ見ないように、さっさと歩いて通りすぎました。デパートの女性下着売り場に迷い込んだような恥ずかしさではありませんが、お酒売り場も当分は立ち入らないように気をつけます。 このままの調子で頑張れば、本当に禁酒できるかもしれません。いや厳格な禁酒でなくともいいのです。日常の生活や仕事に差し支えのない程度の飲酒ならいいと思います。しかし私の場合はちょっと度を超したと思います。お酒が好きで楽しいというより、お酒でストレスを紛らわすという飲酒でした。これはやばいですよ。 とにかく、今は不安なく禁酒しています。スポーツクラブの入会も正解だったかもしれません。このままスポーツクラブ通いが続けば、年末のホノルルマラソン参加なんて夢が見られるかも知れません。今のところ、1キロどころか200メートルを走るのも難しいという程度です。 |
| オヤジの威厳 娘にMDを買う約束 絶対に負けられない (許酒日まで25日 1月29日) |
ついに昨日、家族に高校入試の日まで「断酒」を宣言をしました。すると娘が、「もし約束を破ったらMDを買ってくれる?」ときました。「お父さんは一度宣言したら絶対に破らない」と言うと、すぐに紙とマジックをもってきて、”誓約書”を書かされました。その誓約書がリビングの壁に張ってあります。
そのために昨日は気分的にも楽に禁酒が出来ました。そのかわり8時には書斎に入って読書です。娘がMD欲しさに冷えた缶ビールを持ってきましたが、無視です。 今日はついにスポーツクラブに初めって行きました。今月中に申し込めば入会金がサービスというので、昨日の午後、スポーツクラブに入会だけを申し込みました。あくまで使用は2月1日からのつもりでした。しかし即日使用してもいいと言われたからです。そこで今日の午後、お昼過ぎに初めて行ってみました。 やはり日曜日の午後は混んでいます。それも若い人が多いのに驚きました。私の若い頃、日曜日にスポーツをやると言えばアウトドアでした。スポーツクラブなんてお金がありませんでしたからね。今は老いも若きもスポーツクラブで汗を流すとは贅沢なものです。私が気に入ったのは全身マッサージ機とお風呂です。全身マッサージ機は横になるだけで、20分間ほど首や肩や背中や足を揉んでくれます。ちょっと汗が気になりましたが、楽でいいですね。それから風呂ですが、こちらは老人が多くいました。スポーツクラブのサウナや露天風呂やジャグジーだけに入りに来ている人もいるようです。運動とマッサージ機と風呂で2時間半でした。これで会費が1ヶ月1万円なら安いと思いました。明日はプールを試してみます。 これで今夜は寝付きがよくなると思います。昨夜は運動をしていない上に、禁酒ですからなかなか寝付かれませんでした。 今回の禁酒は出来るような気がします。何しろオヤジの威厳がかかっていますからね。娘のMDは自分で机の上のコーラを倒して、水浸しでダメにしました。娘に物の大切さを自覚させために、そう簡単に新しいのを買うことはできないのです。 |
| 願掛け”禁酒”を断行 高校入試日の2月23日まで スポーツクラブ入会内定 (許酒日まで28日 1月26日) |
娘が第1志望の高校入試が2月23日(木)だそうです。あと1ヶ月を切りました。それでも娘は受験勉強らしい勉強をしません。珍しく机についていると思えばマンガを描いているし、テレビの前のテーブルで衛星テレビの24時間音楽チャンネルを見ながら勉強しています。とても集中しているとは思えません。いろいろガミガミいいましたが、馬耳東風です。
それでも最近は少し焦ってきたらしく、「よし、勉強するぞ!」と掛け声だけはかけるようになりました。そこで私も娘にフレッシャーをかけるために、「お父さんは入試が終わるまで禁酒する」と宣言することにしました。ですから左の「禁酒日」が「許酒日」に代わったわけです。 これには当然ながら裏があります。というのは、私は来月の2月10日に「健康診断」を受けなければなりません。正月を過ぎて、この健康診断日前の2週間以上を、絶対禁酒のチャンスを考えていました。そこで私は娘の受験勉強のプレッシャーに使うことにしたのです。ちょっと禁酒期間が長くなりますが、体に悪いことではないので明日から2月23日までです。さらにカミさんから、受験の願掛けで禁酒したらスポーツクラブに入会してもいいという許可をもらいました。禁酒ストレスを発散させるためです。そこでスポーツクラブに問い合わせましたら、会費支払いの関係で2月1日からということになりました。 なぜ明日からかというと、友人と今夜飲む約束があります。それを済ませてから正式の禁酒宣言です。今日はこれから1時間ほど書斎の片づけをして、夕方までに昨日購入した「世界の艦船」の4ヶ月分を読みます。それから2時間ほど歩いて新宿に向かいます。 今回だけは本気の禁酒です。これを守らなければ、自制心がない人間として、これから軍事を勉強する資格がないと思っています。皆さんからのお酒のお誘いもお断りします。ただし2月23日までです。予約は可です。 |
| 本日は高校入試の1日目。 受験生の父親を体験 昨夜は我が家の壮行会 (禁酒日0日目 1月23日) |
今日は娘の第1回目の高校入試です。詳しいことはわかりませんが、今日は私立の併願(推薦)というそうです。試験科目は国語1科目で、それに面接です。たぶん中学の内申書が大事なのでしょう。今朝は娘も緊張して出かけました。
昨夜はささやかな壮行会で、娘に夕食で何を食べたいかと聞きましたら、「焼き鳥の塩焼き」といいました。近くの居酒屋で塩焼き(焼き鳥)の旨い店があります。でもまさか生まれて初めての入試前夜に居酒屋はだめでしょう。結局、第2候補の私が作る「お好み焼き」になりました。広島風のキャベツたっぷりのお好み焼きです。幸い、おばあちゃんは孫の受験に合わせ、2泊3日のショートスティー(短期滞在型老人介護施設)に行き留守です。そこでカミさんが夕食にワインを出してくれました。とりあえず、昨夜は飲みましたが、また今日から禁酒に挑戦します。 そうそう昨日の昼間、カミさんを例のスポーツクラブの見学に連れて行きました。4月から自分もやりたいと話していました。そうなればファミリー会員です。これで入会できる可能性が高くなってきました。 |
| 大事なマイナス思考 無理をすれば続かない レベルダウンが必要 (禁酒日1日目 1月21日) |
プールで泳いだ日の次は、夕方からスポーツジムで汗を流しました。負荷を加えたエアロバイクを30分間こぎ、ストレッチ体操をして、そのあと腹筋や筋トレマシンです。約90分間でかなりの汗が出てきました。ここまでは良かったのですが、それからが問題でした。2日間にプールとジムで、急に鍛えだした肉体は、翌日には疲労がドカンと出てきました。若い頃(40代)のように、一晩寝ると完全に回復にはならなかったようです。そこで思い出したのは、「マイナス思考」という言葉です。この言葉はNHKテレビ「生活笑百科」(土曜日 正午放送)の司会をしている人(仁鶴師匠 落語家)がラジオで話していたことです。年をとると体力が劣ってくるので、プラス・プラスで考えると挫折感が増す。そこで |