私は見た。愛国心と死ぬこと!


  最近、勇ましい戦争論や愛国心を鼓舞する話が多く聞こえるようになった。しかしそんな戦争論や愛国心を語る前に、私が体験したある事実を聞いて頂きたい。私が国家と戦争、自分は何のために死ぬかと考える原点になった出来事である。

 私が陸上自衛隊少年工科学校の2年生で7月の頃だった。年齢はまだ16歳である。私は足の病気で横須賀の自衛隊病院(当時は海上自衛隊 地区病院)に入院した。そのときの話だ。

 ある日の午後、自衛隊の救急車で、地区病院に一人の1等海曹が運び込まれてきた。病名は全身を覆う火傷であった。担架で運び込まれる様子を見たとき、全身が真っ黒になっていて、大きな炭に白い布がまかれているような印象だった。廊下を医官や看護婦さんがあわただしく行き交い、もちろんい1曹は生命が危ぶまれる重体だった。

 しかし数日後、この1曹は生死の危機を脱して、我々がいる一般病棟に運ばれてきた。私の部屋から廊下を挟んで、この1曹が横たわっているベッドが見えた。やはり全身に白いガーゼがまかれ、治療の時に盗み見ても、全身はあいかわらず黒い焼けた皮膚と、赤色の火傷に覆われていた。なぜこの1曹は全身に火傷を負ったのか。

 それを同室の海士から聞いた。この1曹は自衛艦の機関員(エンジニア)であった。あの日、彼の艦の機関室のパイプが裂け、煮えたぎったオイルが噴出する事故が発生した。至急,パイプのバルブを閉めないと、機関部の熱でエンジンが大爆発する危険に陥った。しかしオイルのバルブを閉めるためには、熱したオイルが噴出す横で作業をしなくてはいけない。誰もが尻ごみしていると、いつも無口で存在感が薄く、乗組員からノロマと馬鹿にされている彼が機関室に飛び込んで、熱いオイルを全身に浴びながら、そのバルブを閉めて艦と乗組員を救ったのだ。
 彼を見舞いにきた奥さんは、一人の子供を背負い、小さな二人の子供の手を引いていた。素朴な感じのする人だった。主人が生死の境をさ迷い、行き返ったことをただ泣いて喜んでいた。


 この事故の話を聞いたとき、私は表現ができないほど感激した。人間はそんなことのために死ぬのかと思った。いや私は、そんなときに真っ先に飛び込んでいくような人間になりたいと思った。普段はグズとかノロマと呼ばれてもいい、しかし死ぬときは人のために堂々と死ねる人間になりたいと思った。

 もし彼が死んでいたら、彼は国のために殉死したと愛国者と言われただろう。しかし彼は死ななかった。それから艦の乗員から、グズとかノロマと呼ばれなくなっただけである。見舞いに訪れた艦の乗組員の称賛に、本人はただ照れているだけである。そんな生き方や死に方もいいと思った。

 それから、ちょうど1年経った7月、我々の同期生13人が、校内の池で渡河訓練中に水死した。彼らは指揮官(区隊長)の命令に従い、銃をもって池に入って水死した。いったんは岸に上がりながら、再び、同期生を助けるために池に入って水死したやつもいる。我々同期生はあいつらが愛国心で死んだのではないことを知っている。あくまで指揮官を信頼し、純真にその命令に従い、そして友人を助けるために死んだことを。今年も7月にあの池を埋め立てて造った公園に同期生が集まった。あいつらと酒を酌み交わすためにである。