2000年 アメリカ映画


『13デイズ』

THIRTEEN  DAYS キューバ危機の13日間
 
ケネデー兄弟は何を考え、行動したを描いた映画

日本の劇場公開   2000年12月



 今から38年前の1962年。自衛隊市ヶ谷駐屯地(東京)では、32普通科連隊の隊員たちに実弾が配られた。キューバ危機で第3次世界大戦の開戦を予測した防衛庁が、首都圏が騒乱状態になることを考慮して、隊員たちに実弾を配って隊舎で待機することを命じたのだ。陸上自衛隊にとって射撃訓練以外に、実戦を想定して実弾が配られたのはこの一度だけである。(これは今でも密かに語られる自衛隊秘話のひとつである)

 当時のソ連にとって、B-52戦略爆撃機やトルコへの核ミサイルの配備など、対ソ核戦力を強化するアメリカの核兵器は大きな脅威であった。そこで当時のフルチョフ首相(ソ連)が対抗手段として極秘裏に進めたのが、社会主義国キューバへの中距離核ミサイルの配備である。ワシントンを含むアメリカ東部は、このミサイルによって発射される2メガトンの核弾頭の射程内に入った。アメリカはU−2偵察機でキューバに建設中のミサイル基地の写真を撮り、この震撼すべき事実を知った。一気に米ソ関係は緊張を最高度に高めた。

 ジョン・F・ケネデー大統領と、弟のロバート・F・ケネデー司法長官がとるべき選択の第一は、核ミサイル基地が完成するこの数日間に、この基地の爆撃とキューバ進攻であった。しかしそれは同時にソ連の反撃を招き、ベルリンなど世界各地で始まる第3次世界大戦への道だった。対ソ戦を強く主張する軍部は、航空偵察や海上封鎖の行動にも、開戦のわなを次々と仕掛けてきた。それを見抜いた大統領特別補佐官のケネス・オドネスは、ケネデー兄弟二人の共通の友人として大統領を必死に補佐する。

 この映画を製作にあたり、国防省は軍幹部の描き方が適切でないと撮影協力を拒否したという。しかしニューズウイーク誌は緊急特集を組んで、この映画が定義をした問題を再検討した。映画の全編を通じ笑うような場面は一切なく、むしろドキメタリーの要素を強く含んだ映画である。

 この映画を見た日は、午前3時に起床して新刊の検証「核抑止論」(高文研社刊)を読んだ。そして午前10時20分からこの映画を近くの映画館で見た。私はかつてアメリカの大学を訪ね、元国務長官のラスク教授に話を聞いたことがある。また引退したテイラー統合参謀本部議長の自宅に伺い、昔話を聞いたこともある。その人たちが映画の中で、次々と登場し(もちろん俳優)ては、生き生きと大統領と論じる場面では、私がその場にいるような気持ちになった。会って話をしたことはないが、マクナマラ国防長官、ジョンソン副大統領、バンディ特別補佐官、ニュースや本でよく知っている人たちがいた。あの人たちには、こんな場面に立ち会ったのだというのを感じた。(しかしそれは驚きでも感動でもなかった。ただ歴史の事実の確認だけであった)

 この映画を見終わって、すぐに家に帰り、朝読んだ検証「核抑止論」の本を、ソファーに寝転がって読むうちにすぐに寝てしまった。しばらくして、子供が学校から帰ってきて、「ただいま」という声で目がさめた。しかし読みかけの「核抑止力」をそのまま読むだす気力は出なかった。それから近くのスポーツジムに行って、温水プールで1時間半ほど、息もたえだえになるほど必死に泳いだ。

 私は広島で生まれた。母が原爆にあったので私は被爆2世ということになる。核兵器、核戦争、被爆者、キューバ危機、核抑止力、そんなことばかり考えた一日だった。そして夕方の6時半の電話で、知り合いの新聞記者が「CIA報告で日本核武装の可能性」(12月20日付けのWHAT NEW)が記述してあると聞いた。記者と話をしながら、日本の内閣法制局は「自衛のためなら核武装は違憲ではない」という見解をだしたのを思い出した。人類は歴史から何を学んだのか。(2000年12月20日)