| 重 要 論 文 翻 訳 ! 『テロリズムに対する世界規模の戦争を制限せよ』 ジェフリー・レコード教授著 |
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利用上の注意 ジェフリー・レコード著
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序 文 合衆国がテロリズムに対する世界規模の戦争を始めてから、今年は3年目にあたる。この戦争は、2001年9月11日の憎むべき攻撃を企てた組織に対する戦いとして始まったが、直ちに、 イラクへの侵略と占領統治までを網羅する、より大きく野心的な計画へと進行した。テロリズムとの戦いの一端として、合衆国は暴力の手段としてのテロリズムに満ちた世界を一掃するだけでなく、独裁体制後と、さらに経済が低迷する中東のために、イラクを成功した民主主義の灯台に作り替える約束をした。 ジェフリー・レコード教授は、 現在までに定義がなされ、実行されたテロリズムとの戦いの三つの特徴、 (1)米政権がなしたテロリストの脅威の評価基準 (2)合衆国の戦争の目的の対象と実現の可能性 (3)この戦争の政治的、財務的、軍事的な持続力 を検討した。彼は、テロリズムとの戦争は、アルカイダに対する軍事作戦とは反対に、戦略的な明確さを欠いており、非現実的な目標を引き受けており、長期戦になるために継続できないかもしれないと結論した。彼はテロリズムとの戦争の対象を、具体的な合衆国の安全保障の利益とアメリカの軍事力の限界を踏まえて、 規模を縮小するよう提唱している。 戦略研究所は、この研究論文がテロリズムとの戦争の目標や方針を超越して、国家安全保障の議論に寄与するよう願うものである。
戦略研究所所長 ダグラス・C・ラブレース.JR 著者の略歴
アルカイダとサダム・フセイン 政権下のイラクを、単一の、性質の同じテロリストの脅威として混淆したのは、特に懸念されてきたことである。これは、二者の間の特徴の決定的な違い、脅威 の度合い、合衆国の抑止力と軍事行動の影響されやすさを無視した、第一の戦略的な誤りであった。その結果は、イスラムのテロリズムに対する中東の新しい戦 線を確立し、十分すぎるほど制圧が終わっているイラクに対する不必要な予防戦争となり、警戒を散逸させ、制圧が不可能なアルカイダのさらなる攻撃に対し て、アメリカ本土を守る資源を減らしてしまった。イラクに対する戦争は、GWOTに不可欠ではなく、むしろ回り道なのである。
加えて、アルカイダとその他の 超国家的テロ組織の殲滅、イラクを豊かで、安定した民主主義国にすること、それ以外の専制的な中東諸国を民主化すること、非正規戦争の手段としてのテロリ ズムの根絶、そして(もし可能なら)現実か潜在的かを問わずに、世界規模の敵へWMDを拡散する国家をなくすことを含む、GWOTに掲げられた目標のほと んどは非現実的で、合衆国に絶対無比の安全保障を求める見込みのない探求を強いる。だから、GWOTの目標もまた、政治的、財務的、軍事的に維持すること はできない。
従って、GWOTは具体的な合 衆国の安全保障の利益とアメリカの国力の限界に合致するよう組み直さなければならない。具体的な指標として、次の事柄が必要である。脅威を分解すること。 予防戦争をWMDの獲得を模索するならず者国家への第一の対処手段から、信頼できる抑止力へと代替すること。アルカイダとその連合組織、そして本土防衛を 最優先目標としてGWOTの焦点を合わせ直すこと。(選択肢が我々にあるとして)イラクにおける民主主義的な安定性と、合衆国よりも国際社会のイラクの未 来に対する責任を果たす準備をすること。そして最後に、地上部隊の水準を中心に、合衆国の軍事力の水準を再評価すること。
現段階までに定義付けされ、実施されたGWOTは、戦略的に焦点が定まっておらず、行いうることを遥かに超えて期待されており、十分ではない合衆国軍とその他の手段を、多すぎる目標を 与えることで消散させる危機に陥らせている。これは識別と集中という、戦略の基本的な原理に反している。
テロリズムに対する世界規模の戦争を制限せよ
序論
偉大なるプロシアの戦争哲学者、カール・フォン・クラウゼヴィッツは、「政治家と指揮官が行わなければならない第一の、究極的で、最も重大な決断は、彼らが始める戦争の種類を明確にすることであり、その本質とは異なるものと見誤ったり、変化させることではない。これはそもそもの戦略上の論点であり、すべてを包含するものである」1 といった。
2001年 9月11日の、アルカイダのテロリストによるニューヨークの世界貿易センタービルと国防総省への攻撃に応えて、大統領は「世界規模でのテロリズムに対する戦い」を宣言した。それ以降繰り返し、大統領と米政権高官は「テロリズムに対する世界規模の戦争」、「世界規模のテロリズムに対する戦争」、「テロリズム に対する戦争」、「テロに対する戦争」、「国際テロリズムに対する戦い」などの複数の表現を用いた。「テロリズムとの世界規模の戦争」の頭文字を取った 「GWOT」という言葉は、直ちに最も頻繁に使われる言葉となった。 GWOTの 本質と要素は、しかしながら、ストレスが溜まるほどに不明瞭のままである。米政権は、ならず者国家、大量破壊兵器(WMD)拡散国家、テロ組織、テロリズ ムそれ自体と、非常に多くの敵を想定している。それはまた、イラクとの戦争と、その他の潜在的な予防的軍事行動に関して、国内政治における支持を集めたり、維持する目的なのは少なくとも確かだが、彼ら全体をひとつの脅威に混淆してしまった。このために、米政権は恐らく、戦略的な明確さを外交政策の中で模 索している道義的な明確さの下に置き、合衆国を終わりがなく、合衆国に対して直接的にも、切迫的にも脅威を向けていない国家や非国家の組織との無用の闘争 の道に置いた可能性がある。
健全な戦略は、脅威を識別し、目的と手段を合理的に調和させることを不可欠とする。GWOTは、どちらの問題も満たしていない。実のところ、GWOTを戦争とみなすのは間違っているであろうし、GWOTにおける軍隊の任務は今なお進行中であり、軍隊の安全度は あらゆる問題をはらんでいる。さらに、GWOTが実在のテロ組織に対抗させることで、テロリズムという現象に方向付けられているという点で、それ自体が戦 略的な誤りである。テロリズムは政治的な絶望と軍事的な貧窮の拠り所であり、だからこそ、姿は消しそうにもない。GWOTの本質と要素を理解する試みは、 間違いなく、一般に認識されているテロリズムの定義が不十分だったり、善と悪、つまり我々対奴らの間の二元論的な闘争というGWOTの描写により、簡単ではない この論文で は、GWOTを、(1)脅威の評価基準、(2)目標の対象と実現の可能性、(3)政治的、財務的、軍事的な持続力の三つの観点から検討する。認定された脅 威とは何だろうか。それらは互いにどう関係しているのだろうか。そしてそれらには明確に優先順序をつけられるのだろうか? 政治的な目標と軍事上の手段は 合理的に調和しているだろうか、合衆国は自分の能力以上のことをやろうとしてはいないだろうか? GWOTは自国内と海外で政治的に継続できるだろうか、 それがかなわないなら、GWOTの野心的な目標は政治的な忍耐と合衆国の軍事力の限界に合わせて調整されるべきだろうか?
戦争とテロリズム
これらの問題に入る前に、我々はGWOTの理解を妨げ続けている二つの問題、その不完全な戦争としての性格付けと、認知されているテロリズムの定義の不完全さに取り組まなければならない。
GWOTは戦争といえるか?
何十年間以上もの間、アメリカ人の政治に関する議論では、戦争は国内外のすべての種類の敵を相手にする場合のメタファーとして受け入れられてきた。米政権はそれ故、貧困や教育の欠如、犯罪、薬物…そして現在はテロリズムに対する戦争を宣言してきた。政治運動の本部でさえ、作戦室を持ち、戦争は連邦議会において辛口の議員たちが論争をするために、ますます用いられる用語となっている。戦争は、恐らくアメリカで最も使われすぎているメタファーである。 だが、伝統的には、戦争は国家同士や、国家と反政府勢力がその国家の最終的な支配権をめぐる軍事作戦によって生じるものとされている。どちらの場合においても、戦争の主要媒体は、正規軍(政府側)と非正規軍(非政府側)の野戦用に編成された同士で戦われるものである。ところが、テロリストの組織は、そのような野戦用 の部隊を持たず、アルカイダとその協力者たちの場合は、領土を奪う目的を持たない、国家を超越した組織である。このことと、彼らの秘密が漏れない、細胞化 した、伝播性があり、分散した戦闘序列を考慮すると、彼らが従来型の軍事的な破壊によって屈服することはないのである。 実際には、 彼らを敗北させる鍵は、情報と政治上の活動の領域の中にあり、軍事上の活動は重要ではあるが、補助的な役割しかない。アフガニスタンにあったアルカイダの訓練、指揮基地を破壊したこと以上に、優れた情報活動や幸運は、その他の合衆国のアルカイダに対するすべての実質的な成功の基礎を形成してきた。情報に基 づいた逮捕と暗殺は、師団を撃破したり、船を撃沈することではないが、対テロリズムの成功の最先端である。GWOTと共通点があるとすれば、それは違法な麻薬に対する国際的な戦争である。
ところが、これらテロリズムや麻薬に対する戦争は、職業軍人を含めほとんどのアメリカ人にとっては本当の戦争ではなく、合衆国が世界的な力を持ってから、言葉の意味を理解するようになったのである。戦争を決定する伝統的な基準によれば、麻薬戦争と類似点があるGWOTは、戦争以外の軍事行動、 言い換えるとMOOTW(とても便利だが、非公式な用語)として軍事を関与させることを受け入れる。確かに、GWOTには、アフガニスタンとイラクという 二つの大きな軍事作戦があるが、これらの作戦は国家のすべての活動分野だけでなく、その他の多くの国の貢献が集結した、極めて大規模な戦略と闘争の一部で ある。これとの厳密な意味での共通点は、時々発生する本当の戦争、たとえば、朝鮮戦争やベトナム戦争で味方陣営のために行った戦いよりも、冷戦時代の非常 に大規模で長期間の競争にある。それ以上に、イラクの自由作戦は合衆国の全軍に、特に合衆国陸軍に、犠牲と、軍隊の伝統的な任務の範疇にない終わりのない 警察活動と国家建設の責務を課している。イラクに対する戦争の大規模な戦闘活動の段階は、ほとんどの合衆国の地上専用の部隊が正式には訓練したことがな い、現在進行中の反乱の段階へと、予期せず、休むことなく姿を変えた。
伝統的なほとんどの戦争、特にヨーロッパの伝統で行われた戦争は、始まりと終わりがはっきりしていた。ある日、戦争行為が布告されるか開始されるかして、ある日、ど ちらかの側が戦闘を止めることに合意するのである。しかし、戦争と平和の境界線がヨーロッパ世界の外では明確であったことはなく、明確に敗北することがな いために、戦争を止めることを拒否する非正規の敵に対しては明確な勝利を得ることが難しいため、冷戦の終結以降は着実に合衆国においてもぼやけてきてい る。だから、タリバンとサダム・フセイン政権が軍事的に粉砕されたとしても、戦闘はアフガニスタンとイラクで継続するどころか、激化すらしているのであ る。
伝統的な戦争には、領土を手に入れるとか、敵の軍隊を破壊するとか、あるいは戦闘を止めるという形で、標準的な勝利の基準もあった。しかし、これらの基準は、別の勝利の基準のために戦う、非正規の敵に対しては限定的な有効性しかなく、アルカイダのようなテロリストの脅威を勝利の標準に当てはめようとするのは、実質的 に無意味である。テロリズムの専門家、ブルース・ホフマンは、「平地において武装した部隊として機能しないテロリストは、一般的に領土を奪取したり、支配 しようとはせず、戦闘においては敵の部隊を慎重に回避し、ほとんどの場合、領土や住民を直接支配したり、独立させようとはしない」2 と述べている。加えて、アルカイダは、一つにはダニエル・バイマンが指摘した理由で、印象的な再生力を誇示している。
そ れは明確に識別できるテロ組織ではない。それは他のグループや個人を鼓舞し、統合させる道を探す運動である。アルカイダが回復能力を超える損失を受けたと ころで、数多くの合衆国に敵意を抱くイスラム主義者の運動があり、合衆国の連合国を打倒する方法を模索し、大量の犠牲を出すテロリストの暴力に身を投じて いる… 考える上での鍵は、アルカイダは単一のテロリスト・グループではなく、世界規模の反乱であるということだ。3 こうした敵に対して、戦死者と捕虜を数えることは当てにならず、アルカイダの指導者を捕まえても、危険な工作員が取り除かれて、アルカイダの頭脳の源が入れ替わるのに寄与するだけであ る。これはベトナム戦争時の戦死者の累計基準の誤りと同じである。合衆国はアルカイダとの戦いと同じように、合衆国の軍隊によって受けた大打撃を置き換えるだけではなく、異常に頑強で統制が取れたベトナム人の共産党員と対決した。(合衆国がベトナムで推進した消耗の戦略は、戦術と作戦の主導権を維持し続けることによって自軍の損失を制御する能力を持つことに対しては問題があった。ベトナム戦争において、共産軍はすべての銃撃戦の75〜80%において主導権 を握っており、損失が許容範囲に近づくと戦闘を中止することを躊躇しなかった4)
GWOTにおける究極的な勝利の 基準は、テロリストの攻撃の頻度と範囲が減少すること、言い換えれば、事件が起こらなくなることだろう。しかしながら、分析の見地からは、これは勝利の基 準としては不十分である。事件が起こらないことを抑止の成功基準とすると、原因と結果の因果関係を知る方法がないのである。さらに、明確に敵を破壊する対 テロリスト活動ですら、意図しない自己破壊的な結果になり得る。米政権がGWOTにおける大きな勝利を祝った、イラクのサダム・フセイン政権の打倒のすぐ 後で、国際戦略研究所が発表した研究論文は、こう言っている。アフガニスタンの基幹施設を失うというアルカイダの損失と、指導者の3分の1を殺害、逮捕し たにも関わらず、アルカイダは「現在は再構成され、幾分違った方法で活動しているが、より狡猾で同時多発テロ以前と同様に危険」である。より狡猾になった 理由は、西側の「対テロリズムへの努力は……意に反して、すでに高度に分散化され、見つけにくい、国境を越えたテロリストのネットワークを、特定し、無力 化するのをより難しくしてしまった」。たとえば、アフガニスタンの基地を破壊することは、アルカイダを「部隊が集団として認識したり、上空から照準できな いほどに散開させる」。このために、「対テロリズムにおける最大の分け前は、法執行機関と情報機関に負担を負わせているのである」5
注目すべきは、外見上は、大統領がGWOTを「新しい種類の敵によって戦われた、新しい種類の戦争」6 だと明確に認め、戦争と いう言葉の用法を結びつけたらしいが、この声明には、国防長官が同時多発テロから一週間後にのべた意見、「我が国が他に当面したことのないような戦争にな るだろう…… 我々の敵はテロ組織の世界的なネットワークとその支援国家である…… この戦争の語彙さえも違ったものになるだろう」7 と同調していることである。
つまり、GWOTは戦争と非戦争の要素を含んでいる。それは、戦闘活動の調合された混合物であり、戦争以外の軍事作戦であり、多数の政府の非戦闘部局が実行する活動である。コリン・グレイはこう述べている。
世界規模のテ ロリズムと戦うことは…多くの人が明確に戦争と呼んで理解している事を行うだけでなく、だらだらと続く狩りと多くの類似点を持っている。対テロリストの努力の最先端は、情報機関、特に情報機関の国際協力、強力な警察活動であると思われる。これらのすべては、相当にもっともらしく見えるが、合衆国の国家安全 保障戦略が、確実に住所不定のテロリストの追跡を縮小したために手段がない。テロリストとその支持者達は、軍事活動のための若干の標的を提供するが、陪審員たちは、合衆国が最大の守護者である世界秩序を含む、アメリカ人の重要な利益に対して彼らが挑戦するまで、長いこと待つだろう。8
テロリズムとは何か?
健全な戦略には明確な敵の定義が必要である。しかしながら、GWOTは語義の沼にはまり込んだ何者かに対する戦争である。合衆国政府内部ですら、異なる部門や機関では、この問題に対する異なった専門家の展望に基づく異なった定義を用いている。9 1988年のある研究では、テロリズムには総計で22の異なる定義の成分を含んだ、109の定義があるとみなしている。10 テロリズムの専門家ウォルター・ラクェアーもまた、100以上の定義を認め、「広く合意されている一般的な性質は、テロリズムが暴力と暴力の脅威よって生じるということだけである」11 と結論している。けれども、テロリズムが、暴力と暴力の脅威に関係する唯一の活動なのではない。戦争を行うことも、強制力のある外交であり、酒場の喧嘩なのである。
現在の合衆国の国家安全保障戦略は、テロリズムを単純に「罪なき人々への、計画的で、政治的な動機を持った暴力」12 と定義している。しかしながら、この定義は、無実を決定する基準が何であるかによって、誰が罪なき人々なのかという疑問を生じさせる。合衆国が1945年に日本の都市へ焼夷弾を投下したことは、日本の戦争努力には何の影響も与えない、女性や子供がほとんどの住民達を確実に恐れさせた。そして、現実の暴力に対抗するほどの危険が迫っている、とはどういうことであろうか? 恐怖を誘引することはテロリズムの主たる目的であり、脅迫行為は恐怖を誘発する手段ではないのか? テロリストが攻撃すると強く脅迫することこそ、テロリズムではないのか?
国防省の当局者は、テロリズムを「恐怖を植え付ける非合法の暴力を計算づくで行うこと、故意に威圧したり、政治上、宗教上、イデオロギー上の目標を達成するために政府や社会を怯えさせること、」13 と定義している。合衆国の「テロリズムと戦うための国家戦略」は、国家や社会に向けられた非国家的な現象としてテロリズムを同じように重要視しており、テ ロリズムは「計画され、政治的な動機を持ち、国家に満たないグループや秘密工作員による、非戦闘員の標的に対して行われた暴力」14 としている。
これらの定義の両方にある問題 は、フランス革命には非政府の者達によって起こされたテロリズムよりもずっと多い数千万人の犠牲者がいるように、国家によるテロリズムを無視していること である。アルカイダ、タミル・タイガーとセンドロ・ルミノソなどが人を殺害した数は、スターリン時代のロシアや、毛沢東の中国、カンボジアのポル・ポト 派、そしてサダム・フセイン政権下のイラクなど国家によるテロリズムには見劣りする。これらの定義から国家によるテロリズムを除外することにより、暴力的 な国内の対立、筋の通った不満に基づく対立の国々(たとえば、サダム・フセインに対するクルド人やシーア派の反乱)にすら、道義的な疑念という恩恵を与えるだけでなく、そうする際に、国家の内部対立にテロリズムの名を与え、アルジェリアにおけるフランスや、チェチェン共和国におけるロシアによって実践された、対テロリスト作戦という名のテロリズムを含む、必要と思うことは何でも行う手法を採用させる。
テロリズムに関する恐らくは不注意な現代語は、コナー・ガーティが言う、「既存の秩序の雄弁な家来と、どんなものにしろ、どの程度にしろ、憎むべきその活動そのもの」になってきてい る。なぜなら、米政権はテロリズムとテロリストに、悪の中の最たる悪という役割を当て、テロリストがすることは「常に間違っており、また、彼らを打ち負かす対テロリスト活動は、それ故にいつでも当然のように善である」といっている。既成の政権の性格、それに対抗する可能性がある活動の種類、暴力が引き起こ倫理的な難問、これらの複雑な要素はテロリストというラベルが持つ現代の力に対してほんの僅かな問題も生じさせることはない」。15 だから、パレスチナ人のテロリズムは、アリエル・シャロンが平和主義者として認められている限りは有罪と宣告される。リチャード・フォークはこう述べている。
言葉や概念としてのテロリズムは、 非国家の形の暴力は、いかなる強制や報復の手段も受け入れられないとみなすほど凶悪だということを話し合うことで、合衆国とイスラエルを提携させてきた。 この挑発的な言葉の意味を、そのような独善的な態度に適合させることによって、テロリズムをフランス革命へ遡る本来の歴史的な連想を断ち切ってしまう。その発達の過程において、その国家から市民に対する政治的な暴力行為、暴力が恐怖をまき散らし、政治的目標を達成するよう狙うことは、テロリズムと名付けら れる。16
テロリズムを取り巻く定義の沼 地は、目標を模索し、手段を決めるという教訓的な関係を、別の観点から眺めることをほとんど阻止してしまう。テロリズムの詳細を考慮することなく、政治的 な満足や軍事的な影響力のために、すべてのテロリズムを悪と呼ぶのは簡単だが、それは好むと好まざるに関わらず、反対の立場では物事が違って見えることを 妨げてしまう。すべてのテロリズムを無条件に悪と呼んで非難することは、その政治的な背景を剥ぎ取り、それが元々軍事的無力に近いものだということを無視 する。これはテロリズムを容認するのではないが、理性的に政治的な選択を考察するための認識としては単純すぎる。
ゲリラ戦のようなテロリズムは、非正規戦争17 や、C・E・コールウェルが1896年の古典的な著作「小さな戦争 その教訓と実践」の中で定義した、「正規兵で構成される二者が行う軍事行動以外」18 による小さな戦争の一形態である。こうしたゲリラ戦のようなテロリズムは、時と場所を選べば負けることがない正規兵(言 い換えるなら、在来型の軍隊)に対抗するための弱者の武器である。政治的な解決の見込みがない限り、テロリズム(多くはゲリラ戦による軍事活動)を含む非 正規戦争を以外の選択がないことは、政治的絶望や軍事的無力を横行させることにならないか? パレスチナを統治していた英国に対するユダヤ人のテロリズ ム、(後にノーベル平和賞を受賞するメナヘム・ベギンが指揮した)1946年にイルグーン団がエルサレムのキング・ダビデ・ホテルを爆破した事件(ユダヤ 人17人を含む93人が死亡)は19、ユダヤ人の国家建設を確実に するための手段として認められるだろうか? 「テロリズムは冷酷な独裁政権を打倒する手段であり、許容できない虐待に当面した自由を求める人々の最後の手 段としてだけ認められる」とラクエァーは主張する。「こうした状況では、テロリズムは犯罪というよりは、道義的な義務といえる。ヒトラーやスターリンを早 い内に殺せば、大勢の人々の命を救えただろう」20 端的にいえ ば、選択肢が二つの悪しかない環境においては、より小さな悪を選ぶのが正しくはないか? 合衆国は、ヒトラーを倒すためにスターリンと一緒に戦う方を選 び、このことは実質的に、イラクの戦争において、アヤトラ・ホメイニが率いるイランと戦うサダム・フセインと共闘することに発展した。どちらのケースで も、合衆国は自らを、二つの20世紀で最大の国家レベルのテロリズムの実践者と、当時さらなる巨大な悪とみなしていた相手を打ち破るために連携させた。
灰色の世界の中では、白と黒の 判断はほとんどつかない。ある人にとってテロリストならば、他の人とっては愛国者であり得るのだ。「武装したクルド人はイラクにおいては自由の戦士だが、 トルコにおいてはテロリストではないか?」とトニー・ジュドは問うている。「合衆国と手を組んだ時は、アルカイダのテロリスト志願者は、アフガニスタンで (ソ連に対する)戦争を手助けしたのではないか?」21
事実、テロリズムの定義につい て合意することが、特定のテロ組織に対する対テロリスト活動を推し進めることはほとんどない。我々は、目に入るテロリストの行為を知っており、アルカイダ が敵であることを知っている。しかし、一貫した定義上の合意がないことは、現象そのものに対処するのに不可欠な構成要素であるテロリストの研究を妨げる。
GWOTにおける脅威の評価基準
脅威の特定
米政権はGWOTについての見 解を、GWOTは報復行動であるということの兆しを含めて、「アメリカ合衆国の国家安全保障戦略」と「テロリズムと戦うための国家戦略」を含む沢山の公式 声明と公文書の中で、綿密に作り上げてきた。「世界規模のテロリズムを打破するための同盟の強化と、我が国と友好国への攻撃を防ぐ努力」と名づけられた 「アメリカ合衆国の国家安全保障戦略」の第3章は、次に引用する、ブッシュ大統領が2001年9月14日に、ワシントンのナショナル・キャセドラルで行っ たスピーチから始まっている。
そうした出来事から三日間が過ぎたが、アメリカ人は未だに歴史に対して距離を置いていない。しかし、我々の歴史に対する責任はすでに明白であり、これらの攻撃に応酬し、世界の敵を駆逐することである。22
第3章では、宣言が行われている。
合衆国は世界規模のテロリズムに対する戦争を戦っている。敵は単一の政治体制でも、個人でも、宗教でも、イデオロギーでもない。敵は、罪なき人々に対する、事前に準備された、政治的な動機を持った暴力である。
多 くの地域において、永続的な不満は、永続的な平和の出現を阻害するものだ。こうした不満は、政治的なプロセスの中において解決されるべきものだ。しかし、 テロを正当化する理由はない。合衆国は彼らの要求を受け入れることはなく、交渉することなしに攻撃するだろう。我々はテロリストと彼らを故意にかくまう者 たち、彼らを助ける者たちを区別することはない。23
第5章で、「大量破壊兵器を持ち、我々と我々の同盟国、友好国を脅迫する敵を阻止すること」を、テロリズム、ならず者国家とWMDに関連づけている。冷戦の終焉に引き続いて……
な らず者国家とテロリストによる新しい熾烈な挑戦が表面化してきた。こうした同時期における本当に破壊的な力は、ソビエト連邦から我々に向けられているので はない。しかしながら、これら新しい敵の性格と動機、これまでは世界で最も強力な国家が持つだけだった破壊力を手に入れようとする決意、彼らが我々に対し て大量破壊兵器を用いる可能性は、今日の安全保障の環境をより複雑かつ危険にしている。24
ならず者国家は、下記のような国家だとしている。
・ 統治者個人の利益のために自国民を殺戮し、国家の資源を浪費する ・ 国際法を守ろうとせず、隣国に脅威を与え、締結国に対して国際条約を冷淡に破る ・ 大量破壊兵器と共にその他の先端の軍事技術の獲得を試み、自国政権の攻撃的な計画を遂行するために脅迫や威嚇に用いる ・ 世界規模のテロリズムを支援する ・ 人類の基本的な価値観を拒絶し、合衆国とその側に与するすべてのものを憎悪する25
「国家安全保障戦略」では、イラク、イラン、そして北朝鮮をならず者国家に指定し、「我々は、ならず者国家とそれらテロリストの顧客達が、合衆国と連合国や友好国を脅迫したり、大量破壊兵器を使用できるようになるのを阻止する準備をしなければならない」と宣言している。26 そしてこれは、「ならず者国家とテロリストの目標を顧みて、合衆国はもはや我々が過去に取った対応の取り方を当てにすることはまずない」27 ことを意味する。なぜなら。我々の敵はWMDを最後の手段としてみておらず、むしろ「脅迫や軍事的侵略の道具としての……とっておきの兵器」とみている」ためで、「合衆国は、もし必要なら先制的な行動を取るだろう」28
脅威の核心は、政治/宗教的過激思想とWMDの潜在的な結合であり、大統領が「改革主義とテクノロジーの十字路」と呼んだものであり、脅威は「アメリカ人はそれらが完全な形になる前に、そうした間近に迫った脅威に対して行動を取るだろう」29 というほど深刻である。2002年6月の陸軍士官学校での演説において、大統領は「化学、生物、核兵器が、弾道ミサイル技術と共に拡散した時……それが起こった途端に、弱小国や小さな集団ですら、強大な国家を攻撃するための壊滅的な力を手に入れることになる」30 と詳細に述べた。これ以降、国防総省は、「テロリストのネットワーク、テロ国家と大量破壊兵器の結びつきは……小さく弱小な国家や、個人で構成される比較的小さなグループという強大な敵対者を作る可能性がある」と口にするようになった。31
「テロリズムと戦うための国家戦略」は、詳細な行動計画である。この公文書は、テロリズムを「事前に計画され、政治的な動機を持った非戦闘員に対して行われた、規模が国家に満たないグループや秘密工作員による暴力行為」32 と定義しており、「我々の目標は、アメリカ人や全世界の文明的な人々がテロリストの攻撃による恐怖なしに生活できるように導くことである」33 と明言している。これは、「テロリストグループに対する直接的で間断のない戦略は、彼らの成果の累計にまずヒビをいれ、やがて悪化させ、究極的にテロ組織を殲滅する」34 と確約している。この公文書の「序文」は終わりに、「人類の力は、あらゆる形態においてテロリズムを敗北させる」35 と書いている。
「テロリズ ムと戦うための国家戦略」はそれから、その世界化、テロ組織の相関性、WMDの拡散など、今日のテロリズムの脅威の性質の評価へと進む。「テロリストの脅 威は、最新のテクノロジーで可能になった、グループ内やそれ同士の緩い結びつきによって特徴付けられる、柔軟性を持つ、国境を越えたネットワークの構造で ある」。36 テロ組織は三つの段階で機能している。「最初の段階ではテロ組織は単一の国家の中で主に活動している。彼らの勢力は限られているが、国際的な環境の中で は、彼らの行動は国際的な重要問題になり得る」。次は、これらの組織が、「地域的に活動する最低でも一つの国際的な国境線を越え(つつある)、地域的に活 動する」。三番目は「世界的な活動領域を持つテロ組織である。彼らの活動範囲はいくつかの地域に及び、その野心は国境を超え、全世界に向かう」37
現在は、組織の三つのタイプはどれも、「情報、人材、専門家、資産、そして安全な隠れ家を共有」する作戦上の連携によって直接つながっており、「同じイデオロギー上の議題を促進し、互いに彼らの大儀に好意的な国際的なイメージを育てる努力を強化する」。従って、合衆国は「彼らを地勢上の領域を超えて追いかけ、敗北させるために、その強さを選ばず組織間の連鎖を断ち切り、孤立させ、露出させ、無防備にする」。38 いい換えると、国家的、地域的、世界的なテロリズムの結びつきは、その地域、国家にいる支持者に対する対テロリズム作戦を同時に行わない限り壊滅できない ような、世界的な規模を持つテロリズム」なのである。この意見は、世界規模と地域規模の組織…それから地域規模と国家規模の組織……と漸進的に連鎖を断ち 切り、数少ない最も脅威の小さい国家段階のテロ組織を除くすべての破壊と消滅を描写した「戦略の運用」と名づけられた添付図によって強調されている。39 つまり、この戦略には、合衆国の利益に脅威をもたらすかどうかに関係なく、あらゆるすべてのテロ組織への対テロリスト作戦が、潜在的に含まれている。この戦略が遠慮しているのは唯一、財源獲得の可能性についてのみである。
「テロリズムと戦うための国家戦略」は、「我々は文明的な社会を持つ沢山の国家を脅迫するために最新技術とWMDを結びつけようとするテロリストを許さない…我々は、合衆国を友好国や同盟国を一体化してでも、我々の生活の脅威であるテロリズムを殲滅しなければならない」40 ということを含んでいる。しかし、テロリズムを打倒するのことは、それだけに終わるのではなく…
テ ロリズムの世界を駆逐するのは、拡張された目的の本質要素である。我々は、より多くの国や人々を、共に共有できる価値、たとえば、人間の尊厳、法による統 治、個人の自由の尊厳、開放的で自由な経済、信仰の自由のような価値を持つ世界的な一貫性に統合された国際秩序を打ち立てようと努力する。我々は、例外の ない基準としての、これらの価値観に取り囲まれている世界が、テロリズムの拡大に対する最高の対抗策であることを理解している。これが、我々が今日、打ち 立てなければならない世界である。41
脅威の混淆
米政権は、 合衆国の国家安全保障の利益に対する、広範で国際的なテロリストの脅威を次のように評価している。(1)テロ組織の三つの地勢上の段階 国家、地域、世 界。同じように、(2)ならず者国家―特に、サダム・フセイン政権のイラク、イランそして北朝鮮。この脅威のリストにはまた、(3)テロリストやならず者 国家にWMDを拡散する特定の個人や団体。さらに、(4)失敗国家 タリバン政権下のアフガニスタンのように、海外のテロリストのスポンサーにはならない だろうが、好むと好まざるに関わらず、隠れ家を提供したり、組織がすることを手助けしたりする国。
しかしなが ら、テロリズムに関する米政権の言葉を試すには、識別は初語ではない。米政権の言葉使いは明確ではなく、たとえば、戦略的上も作戦上も、テロ組織とならず 者国家の間には重大な違いがないという問題がある。ならず者国家は、要するに「国家安全保障」がうたう、「自国民に対して非人道的であること」と「世界的 なテロリズムのスポンサー」である。加えて、ならず者国家と、少なくともいくつかの世界規模のテロリズム組織は、どちらも共に合衆国を憎悪し、WMDを入 手したがっている。米政権はならず者国家とテロ組織は、抑止力が効かない複数の基準という、危機的な特質をも共有していると信じている。
冷戦時代には、我々は主に、現状維持と敵対者の危険を回避することに直面 していた。抑止力は、効果的な防衛でもあった。しかし、抑止力は、報復の恐怖にだけ基づいており、さらに危険を冒して、自国民の命や自国の富を一か八かの 冒険にさらそうとするような、ならず者国家の指導者には、あまり機能しないらしい。
抑止力の伝統的な概念は、非人道的な破壊や罪なき人々を標的にする戦術を公言しているテロリストの敵に対しては機能しないだろう。彼らは死による殉教を探し求める兵士といわれており、最も強力な防備は国籍を有しないことである。42
イラクとの 戦争が近づくと、米政権はサダム・フセイン政権とアルカイダを結ぶ共謀を力説し、独裁者がアルカイダにWMDを引き渡すという不安な見通しを惹起し、サダ ム・フセインが同時多発テロに直接手を下したという見解を助長した。戦争が終わった時点で、テロリズムとの戦争における勝利として、サダム政権の崩壊は歓 迎された。
2002年 9月に、ブッシュ大統領は、「テロリズムとの戦争を語る時に、アルカイダとサダムの違いを識別できるわけがない。彼らはどちらも、悪質さにおいても、邪悪 さにおいても、破滅性においても同じだ」と表明した。彼は、「危険は、アルカイダがサダムの邪悪さと、憎悪と、大量破壊兵器とを世界中にばらまく可能性を 拡張していることだ」と付けくわえた。43
彼がイラク の自由作戦をはじめるちょうど二日前、2003年3月6日の公式記者会見で、大統領は、サダム・フセインは核兵器を手に入れば、すぐに複製を行うだろうと ほのめかして、イラクに対する戦争の理由を同時多発テロに結びつけた。「サダムは脅威だ。そして、我々は彼が攻撃を開始するまでは待てない」と彼は言っ た。「サダム・フセインと彼の(大量破壊)兵器は、我が国への直接の脅威だ」と彼は改めて表明した。「もし、世界がイラクの政権による脅威と対決できなけ れば、自由国家は巨大で受け入れがたい危険を負うことになるだろう。2001年9月11日の攻撃は、4機の航空機によって、アメリカの敵が何であるかを はっきりさせた。我々はテロリスト国家が大量破壊兵器を使えるようになるまで待つことはできない」。後に、彼は公式に述べた。
サダム・フセインは我々の国への脅威である。同時多発テロは、少なくとも 私が関心を持っていることにおいては、戦略的な考え方を、この国を守る方法に変えさせた……サダム・フセインのような人物を封じ込められるとか、海洋が彼 のようなタイプのテロから我々を守っているといった考え方は時代遅れだ。同時多発テロはアメリカの人々に、我々が今は、テロ組織の手にある大量破壊兵器 が、自宅にいる我々を破壊できる戦場にいることを教えた。
イラクとの戦 争の人材と財政的な損失について質問されると、ブッシュ大統領は「何もしないことの代償は、行動することの代償を上回る……9月11日にアメリカ……を攻 撃した代償は甚大(だった)……そして、私はそのチャンスを再び与えるつもりはない」、「9月11日の教訓……は我々が攻撃で傷つきやすかったということ だ……そして我々は、海の向こうに大終結した脅威を捕らえなければならない」と答えた。44
2003年 5月1日、ブッシュ大統領はイラクでの主要な戦闘活動の終結を宣言し、「イラクでの戦闘は、2001年9月11日に始まったテロとの戦争の一つの勝利であ り、現在もまだ続いている。あの恐ろしい朝、19人の邪悪な男達、憎むべきイデオロギーを持った突撃部隊が、アメリカと文明世界に彼らの野望を垣間見せ た」。ブッシュは後に付け加えた。
イ ラクの解放は、テロに対する軍事行動において、ひとつの重大な前進だ。我々はアルカイダの同盟者を取り除き、テロリストの財源を断ち切った。そして、政権 が存在しなくなったことで、テロリストのネットワークが、イラクの政権から大量破壊兵器を入手できなくなったのは確実である。世界を変えた(9/11の攻 撃以来)この19ヶ月、我々の行動は、焦点が絞られ、慎重で、攻撃者に対してふさわしいものだった。これらの攻撃により、テロリストと彼らの支援者達は、 合衆国に対して宣戦を布告した。これは彼らが手に入れた戦争だった。45
それ故、大 統領は、少なくともサダム・フセイン政権のイラクとアルカイダの関連は、完全に統制された、合衆国への抑止不可能なWMDの攻撃の直接的なテロリストの脅 威だ、とみなした。脅威はイランと北朝鮮、同様にしてイランと北朝鮮、同様にして、サダム・フセイン支配下のイラクを含めて、WMDを「威嚇と軍事侵攻の 道具」のための「究極の兵器」とみなすならず者国家へ拡大するとほのめかし、「これらの国家が、我々がならず者国家の攻撃的な行為を抑止、撃退することを 阻止するために合衆国と同盟国を脅迫しようとすることを容認するかもしれない」46 だから、脅威としてのテロリスト、テロ組織、そしてテロリスト国家は、まったく同一なのである。
脅威の混淆による影響
残念なこと に、異なった計画と、合衆国に対する脅威のレベルがある、ならず者国家とテロ組織を分離できない脅威として一つにしたことは、ならず者国家内での、テロ組 織内での、そしてならず者国家とテロリスト・グループの決定的な違いを不明瞭にした。1950年代における、一枚岩だった国際共産主義者の特筆すべき基礎 条件は、アメリカの為政者に、地域環境への影響力と唯一性、国家的、歴史的、あるいは文化的な違いとブロック内 の対立を見守る判断を失わせたことだった。共産主義は、主として国際的な共同謀議を指導した。いたるところにいる共産主義者がいて、合衆国へ共通の脅威を 突きつけた。識別不能というこの結果は、クレムリンが東南アジアにおいて計画した勢力拡大をより少なく認識したために、ベトナムにおける米軍の軍事侵攻に 大失敗をもたらし、定義に関しては、歴史的に理解しうるそれ自身の政治的課題を見落としていたのである。 テロ組織と ならず者国家の両方は、暴力を信奉し、現行の国際秩序に敵対している。合衆国の中の共通の敵、中東におけるならず者国家とテロリスト組織、イスラエルの中 の共通の敵は、多くは共通している。国際的な無宿人として、彼らは頻繁に互いに連絡を取り合い、時には連携する。しかし、こうした連携の目的と耐久性は、 地域環境においては極めて不安定なものである。さらにいうと、ならず者国家とテロ組織は、性格と合衆国の軍事力に対する脆弱性において、根本的に異なっている。テロリズム組織は、彼らが人質を取る可能性があるという僅かな強みと、「国家安全保障」が指摘する「非国家であるという最も強力な防備」47 を持つことで特徴付けられる、秘密主義で、とらえどころがない、非国家の組織である。対して、ならず者国家は、明確に領域、人口、政府施設、その他の資産を定義できる主権を持った集団で、それ故、テロ組織よりも数段大きな軍事攻撃にさらされる。
別の言い方をするならば、テロ組織と違い、ならず者国家の政権が正反対のことを熱弁しようとも、ならず者国家は効果的な抑止力の影響を受けやすく、それ故、予防戦争の潜在的な目標となることと、それに関連する損失と危険によって、国家の存続を保証できない。ア ルカイダが運搬可能な核兵器を入手していれば、同時多発テロで使っただろうということに疑念の余地はない。しかし、ならず者国家の過去は明らかであり、懲 罰として報復攻撃を行い、受け入れがたい損失を被らせる能力を持った敵対者に対してWMDを使ったことはない。サダム・フセインは1980年代に無力なク ルド人とイランの歩兵部隊に化学兵器を使用した。しかし、彼は、1991年の湾岸戦争において、こうした兵器を合衆国やイスラエルの軍隊に対して使うこと を自制し、その後の十年間のある時点でこれらの兵器の所有を放棄したようである。48 サダム・フセイン政権のイラクよりも遥かにWMDの装備の点で進んでいる北朝鮮は、この十年間、繰り返して韓国と合衆国を、戦争をすると脅迫してきたが、未だに開戦していない。 サダム・フセインと北朝鮮が行動しなかったことに、抑止力以外の説明がつくであろうか? もちろん、これを検証する手立てはないが、彼が核兵器を手にしたら合衆国に戦争行為を仕掛けるつもりだという証拠はなく、むしろ、ならず者国家の政権は、そうした兵器は、合衆国が彼らに 対する軍事行動を抑止する手段とみなしている。興味深いことに、一年前に国家安全保障担当大統領補佐官になったコンドリーザ・ライスは、抑止力がサダム・ フセインに対処する信頼できる最高の手段だと発言している。2000年1月、彼女は「外交問題」誌に書いた記事の中で、イラクに関して、「第一の防衛線 は…彼らがWMDを手に入れても、それを使おうとすれば国家規模の殲滅を招来するために使用不能となる…という明瞭で古典的な抑止力の説明文なのです」と 公言した。彼女は、ならず者国家は「遠からずなくなる」ので「彼らにうろたえてはなりません」49 と付け加えた。テロリスト達が国籍を持たないことが最大の潜在的防備ならば、国籍を持つことは、ならず者国家の最大の戦略上の弱点だろうか?
いかにも、ならず者国家は、本質的に攻撃的で、地域的な安定の脅威である。さらに、サダム・フセインの戦争前の蛮行や、疑いなく狂っていたという非難は、大幅な誇張だとはいうものの50、ならず者国家の指導者が蛮行や狂気に陥らない保証はない。大事なのは、ならず者国家の行為が、今のところは信憑性があり受け入れがたい報復という脅威を通して、納得できる抑止力の証拠を提供していないということだ。ならず者国家の政権は、実際に普通の国家よりは危険な傾向があるが、それは彼らが自身で生き残り、目的と手段を合理的に計算できるということではないか?
サダム・フ セインのイラクと、オサマ・ビンラディンのアルカイダを混淆したことで米政権は、合衆国と戦争中ではなく、直接あるいは切迫した合衆国への脅威でもない、 合衆国が交戦中だったテロリスト組織から合衆国を防衛するために警戒と努力を犠牲にして予防戦争を始めることにより、GWOTを必然的に拡大した。51 イラクに対する予防戦争に反対する、ブレント・スコウクロフトとズビグニュー・ブレンジスキーなど前国家安全保障担当特別補佐官、マデリン・オルブライト 前国務長官は、イラクとアルカイダの性格、目的、脆弱性を識別し、アルカイダの脅威は、より切迫的で、より危険で、防衛するのが困難になりつつあると、正 しく論じていた。彼らは、イラクとの究極的な戦争は、イラクへのアメリカの戦略上の警戒を、本土防衛に使う資金と資源を増大させることによる浪費で逸ら せ、イラクとのアメリカの戦争が、アルカイダに対する戦争に勝つための、決定的な諜報機関の情報を共有する重要な国々の意欲を失わせるために、世界中で、 特にイスラム教徒に人気がないために、アルカイダとの戦争を不可避的に脆弱にすると危惧していた。52
戦略的な見 地からは、イラクの自由作戦はGWOTの一部分ではなく、むしろ、アルカイダとの避けられない戦争から目を逸らさせるのにとっておきの戦争である。実は、 それは合衆国がサダム政権崩壊後のイラクに秩序と合法的な政府を打ち立てるのに失敗したとすると、より多くを散逸させるだろう。テロリズムの専門家ジェシ カ・スターンは2003年8月に、バグダッドの国連本部爆破事件は、「アメリカが、テロリストの脅威がなく、それに変貌することもなかった国だけを占領し てきた最新の証拠である」と警告した。GWOTと名付けられて始められた戦争が、最後には「正確には、米政権がテロリストの温床と呼ぶ状況。国家がその国 境を統制できず、その市民に基本的に必要なものを提供できない状況」53 を作り上げたとは、皮肉でしかない。前中央情報局(CIA)の対テロリズム作戦の責任者であり、アナリストである、ビンセント・カニストラロは、「戦争の 前に、サダムと国際テロリズムとの関連を示す実質的な諜報情報はない。今、我々は、イラクがアメリカを攻撃しに来る場所という状況を作り出そうとしてい る」と、この見解に同意している。54
GWOTにおける方針
目標
脅威の混淆はGWOTを、集団(多数のテロ組織とテロリスト国家)、タイプ(非国家、国家、失敗国家)と地勢的な位置(アルカイダだけで、60の国家に下部組織を持っている)の数の点で信じがたいほど多数の敵に 対する戦争にした。テロリズムに対する世界的な戦争は、それだけでなく、テロリズムの達人たちに対する戦争というだけでなく、テロリズムという現象そのも のに対する戦争でもある。その目標は、テロリストと彼らが用いる暴力の手法をどちらも殲滅することである。「テロリズムと戦うための国家戦略」は、「テロ リスズムを殲滅すること」を急ぐべきで、「テロリズムの打倒は、我が国の主要で最優先の課題である。これが、ブッシュ大統領が言うところの、我々の叫び声である」55 と述べている。実際に…
我 々はテロリズムを非合法化するために合衆国のすべての権力を使用しており、すべてのテロリズムの行為は、奴隷制度、海賊、大量虐殺など、責任ある政府が許 容したり、支援することがなく、何人も反対する行為と同じだとみなされることを明らかにしている。簡単にいえば、我々の友好国や同盟国と共に、我々は、非 支援、非容認、そしてあらゆるテロリズムとの積極的対決を必要とする、テロリズムに関する新しい国際的な規範を確立することを目的としているということ だ。56 |