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94年にカンボジア西部にあるポル・ポト派の拠点、プノンマライ村を取材で訪れた時、私はイエン・サリ(ポル・ポト派のNO、2)の側近であるロン・ノリン氏から貴重な話しを聞いた。それは山(ジャングル)や村に立てこもるポル・ポト軍に対し、カンボジアに侵攻したベトナム軍が開発した対ゲリラ戦術のことだった。言うまでもなく、ベトナム軍は米軍をゲリラ戦(ベトコン勢力)で大敗させた実力派である。またポル・ポト軍はそんなベトナム軍を相手にゲリラ戦で互角以上に戦っていた。まさにその当時の世界最強のゲリラ部隊がポル・ポト軍だった。私がベトナムの戦法をロン・ノリン氏に質問すると、次のような説明が返ってきた。
ベトナム軍は怪しい場所を見つけると、密かにその山や村を広範囲に包囲した。夜間にトラックできたベトナム軍の兵士が、周囲の主要な道路や川に配置される。そして迫撃砲や榴弾砲も包囲した周囲に配置される。その次の段階は、特別な訓練を受けた兵士が、単独とか数名で包囲の中に忍び込む。彼らは戦闘が目的ではない。あくまで偵察である。ゆっくり、ゆっくり見つからないように、ポル・ポト軍がいそうな場所に接近してくる。そして適当な場所に隠れるのである。するとポル・ポト軍が動き始めたとする。彼ら潜んでいるベトナム特殊部隊員は、無線で包囲線に布陣している味方の砲兵に砲撃を要請する。するとポル・ポト軍の頭上に砲弾が落下してくる。ポル・ポト兵士が隠れても、逃げても、砲弾は誘導されて正確に着弾する。幸運な兵士の中には、砲弾の標的から逃れて、山や村から逃げ出すことに成功するが、そこには最初に包囲した伏兵が待ち構えている。あわてふためき逃げてくるポル・ポト兵に銃弾を浴びせる。そのような一連の攻撃が終わると、ベトナム軍は段段と包囲網を狭めていくのだ。
そして潜入した特殊部隊も、攻撃を誘導しながらポル・ポト軍の本拠地に迫っていく。こうして最後はポル・ポト軍の拠点を陥落させ壊滅させるという戦術である。私はこれを対ゲリラ包囲殲滅戦と名前をつけた。さすがにベトナム軍だけのことはあると思った。
ちなみにポル・ポト軍はこの包囲殲滅戦にあうと、攻撃を受けてもパニックにならず、まずはベトナム軍の偵察員(特殊部隊)から見を隠す。反撃の体制を整えて、包囲網が狭まってくるのを待ち受ける。そして包囲網の弱いところを一気に攻撃して脱出する対抗策しかない。
これがアフガンの山岳地帯に立てこもったタリバンやアルカイダに使われるだろう。空爆や特殊部隊のヒット・アンド・ラン作戦では、ゲリラを完全に殲滅させることはできない。いつもゲリラは隠れるか、逃げるかの繰り返しになる。それでは戦争が終わらない。
この「対ゲリラ包囲殲滅作戦」のために、私は来年春のアフガン進攻を目指して、パキスタンに地上部隊が投入されると予測している。タリバンが潜む山岳地帯の数箇所で、包囲できる戦力(兵力)が必要だからだ。空爆と特殊部隊だけで戦うには、アフガンはちょっと広すぎる。パキスタンの政権を維持させるためにも、進攻した米軍地上軍の補給路を守るためにも、かなりの兵員数が必要になる。これが私が想定しているアフガンの本格的地上戦である。
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